始まりの場所
□辛苦
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薄暗がりの中を走り抜ける。
聴覚を支配するのは、落ち葉を踏みつける足音に変わって自分の荒い呼吸音になる。
吸い込む空気は乾燥していて、カラカラの喉を更に渇かせた。そこをなんとか潤そうと唾を呑み込むも、渇きすぎた喉には逆効果らしくむせ返りそうになる。
そして速くなっていく呼吸はどうすることも出来ず、聞こえてくる呼吸音は更にひどくなっていった。
そんな中、背後から聞こえる微かな銃声。
ずっと鳴り響いているそれから離れるように、足を止めず走り続けた。距離で考えるとそんなに遠くまで離れてないはずなのに、聞こえる音はその距離に合わず小さく聞こえる。
そして走りながら、六道くんのことを思った。
銃声が聞こえるということは、まだ彼は戦っているんだろう。彼は無事だろうか。一人だけこうやって逃げる自分が情けない。あの時、無理矢理でも一緒にいるべきだったのだろうか。こんな役立たずでも、いるのといないのとでは少しは違ったかもしれない。
「はぁっ…はぁっ…!」
息が続かず、立ち止まった。
頭から爪先まで体全体を脈打つように、心臓は大きく拍動している。
立ち止まった瞬間、頭に血が上ったかのような感覚。喉は渇ききっていて痛い。
そんな喉を通る空気はゼイゼイ音を立て、ドクドクと体内を駆け巡る血液の音と混ざり合い耳障りだった。
頬に当たる空気は少し冷たい。なのに、体は熱を産生していて熱い。
ふと、辺りを見回した。
相変わらず視界に入るのは、所々点在している木々。そんな木々の間から見える空の色も、変わらない。
変わったとしたら、地面だけだろうか。
砂利の上に落ち葉が覆い被さっているだけだった地表は、今は膝辺りの背丈の草むらに隠されている。
それでも地面には灯があるようで、所々草の下でぼんやりと辺りを照らしていた。
ガサリ、と草むらの中、足を進める。
だんだんと落ち着いてくる呼吸。それと共に、だんだんと冷静になっていった。
そう、今、私は一人なんだ。
体に力が入る。
今まで必死に、ただひたすら六道くんに言われた通り隠れられるような場所を探してたから、一人だという認識は二の次になっていた。
でも、そうだ。この変な世界にいる間、どこにいても危険なんだ。
『くれぐれも気をつけて下さいね』
六道くんのその言葉が頭の中で再生される。
ああ、そういえば、私は彼に何も言ってない。六道くんの方が私よりも危険な立場にいるというのに。
私は、気をつけてね、とも言えなかった。
聞こえてくる銃声は、さっきよりも間があく間隔が長くなっている。
でもまだ鳴り響いている、ということはまだ終わってないということで。
確か三人いると六道くんは言った。その相手を、彼はたった一人でやってるんだ。
やっぱり、六道くんの所へ戻った方がいいのかもしれない。
そう思うと、胸の辺りがソワソワして居ても立っても居られなくなる。
私には銃があるんだし、いざとなったらこれで応戦できるかもしれない。
そう思う半面、私がいると六道くんの邪魔になるという気持ちも大きい。きっと足手まといになる。なら、やっぱり私はいない方がいいんじゃないか。
それに正直なところ、怖いんだ。あの場に戻ることが。
自分の中でいろんな思いが絡み合って、何がなんだか分からなくなる。
でも結局のところ、私は弱すぎる。
弱い上に、臆病だ。
もっと、私も六道くんみたいに強ければいいのに──そう考えながら歩いていた、その時だった。
足元から感じた違和感に、立ち止まる。
何か、草ではない何かを踏みつけた感覚。
それと同時に、その時やっと異臭が立ち込めていることに気付いた。
わずかではあるけど、一度気付いてしまえばその臭いはより強調される。
今まで嗅いだことのないような、臭い。
この状況は、腐敗した死体を見つけた、あの時と被る。
でも、臭いはあの時のものとは違う。
もっと……そう、生臭いというような──。
足元はあえて見ないようにした。この臭いと、このぐにゃりとした感触、絶対良いものなんかじゃない。
でも、見たくないものほど目に入ってしまうのか。
目先の草むらに散らばっているものは、とてもじゃないけど人間のそれとは思えなかった。
草には液体が染み込み、その上にねばりとした塊が散在している。
所々無造作に置かれているのは、かろうじて原形を留めている部品。
バラバラにされた、人間だったもの。
体は震えて動けず、喉の奥から吐き気がせり上がってくる。
目の前のあり得ない惨事と鼻をつく異臭に、目の奥から涙が滲み出してきた。
何故、もっと早くに気づかなかったのだろう。
辺りが更に暗くなったせいか、草むらに変わったせいか。
それとも考え事をしていたせいか。
頭の中で警報が鳴り響いている。
ここに居るのは、まずい。まだ、きっと、目の前のものが「塊」になってからそう時間は経っていない。
パニック寸前だった。でも、パニックに陥りそうになる瞬間、ふと冷静になる。
視線を、感じた気がした。私の、斜め横から。
はっとして顔を向ける。一本の細い木。少し離れた所にあるその幹から、一つの影がこっちを覗いていた。
その影が、ゆっくりと幹から離れる。
そこに居たのは、小太りの、男。片方の手には出刃包丁を持ち、もう片方の手には、肘から下しかない腕を持っている。
きっと、目の前に散らばる塊と同じ人間の腕だと、直感的に感じた。
そして、その男には見覚えがある。此処に来たとき、初めて会った──そう、私を追いかけてきた男だ。
その男が、あの時と同じように、ニタリと笑った。
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