始まりの場所

□標識
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見られている。


いくつもの目が、私へと向いている。


私は地面に視線を這わせながら、足早に歩き続けた。六道くんと別れたのは、2人でいると目立つからだった。2人でいると、周りからの視線を集めすぎる。だからだろう、情報収集しにくいと彼は言った。
だけど、1人になったところで状況は変わらない。見られている。それは分かる。
まるで視線が肌を這うような感覚。それが身の毛をよだたせ、内臓を震わせる。

顔は上げずに、ただ機械的に足を動かした。目が合ったら襲いかかって来そうで怖い。視界に映る赤暗い地面。街灯の色と分かっていても、その色は血を連想させた。

カバンの柄をギュッと握る。六道くんに言われた通り、すぐ銃を出せるよう、カバンのチャックは開いたままにしておいた。果たして自分はコレを使えるのだろうか。わからない。けど、とりあえず今はただ、何も起こらないで早く30分経過してほしい。

別れてから一体何分たったのだろう。ずっと、どこまでも追いかけてくる視線。怖い。嫌だ。歩調はだんだん速くなる。視線から逃げるように、足は自然と人気のない所へ向かっていく。最初の曲がり角を左、次の曲がり角も左……。
どんどん、人々から遠ざかるように、誰の目にも私の姿が映らないように、息が詰まりそうになりながら歩き、


ふと、視界が暗くなった。


そこで思わず足を止め、顔を上げる。どうやら、路地に踏み込んでしまったみたいだ。建物と建物に挟まれた細い道。今まであった街灯は無くなり、目の前は暗闇が広がっている。続いてるだろう道の先は、闇に溶け込んで全く見えない。

引き返した方がいいと、瞬時に思った。光がないからそう思うのかもしれないけど、それだけじゃない。

血の臭いがする。

早く立ち去った方がいい。数歩下がれば、街灯のある道に戻れる。
ゆっくり、静かに一歩後ずさる。緊張から冷や汗が流れた。そしてもう一歩、足を後ろへ動かそうとした、その瞬間だった。


「ねぇ」


目の前から、突然聞こえた女性の声。
息を呑み、前を見据える。暗くて何も見えない。すぐ逃げればいいものの、体は声の正体を確かめようとするかのように、その場から動かない。
布が擦れる音がする。そして次の瞬間、暗闇の中からスッと人の姿が浮かび上がった。

体を包むように大きな布を羽織っている女性。暗くてよく見えないけど整った、けれど感情なんてない顔をしている。無表情で、死んだような、目。


「貴女の持ってるもの、私にくれないかしら」


突然言われた、不可解な言葉に疑問を抱いた。
私の持ってるもの、ってなんだろう。それをくれと、目の前の女性は言う。出会い頭、いきなり。
なに……何なんだろう。気持ち悪い。鼻をつく血の臭い。薄暗い中浮かぶ、無感情の顔。目が、目の前の人物から離れない。体も、動かない。動かせない。動いたら殺されそうな、そんな空気が体にまとわりつく。得体の知れない恐怖のせいで、呼吸が速くなる。
女性はそんな私を見て、ほんの少し首をかしげた。


「それ、私にくれない?」


そっと指差す細い指。私はゆっくりと指し示された所を見た。

スカートのポケットから、少しはみ出している植物。

六道くんに老婆から受けた傷の手当てをしてもらった時、一応持ってなさい、と手渡されていた薬草だ。
彼女はこれが欲しいのだろうか。私は、どうすればいいだろう。逃げたい。でも逃げきれるだけ素早く体が動かない。それならこれを渡すべきだろうか。六道くんの言葉が頭をよぎる。『貴女は、誰とも話さない方がいい』


「聞いてる?」


一歩、私の方へと近く。私はそれに反射して一歩後ずさった。
心臓が速度を増す。どうしよう。頭の中は既にパニックだった。体が動かない。そしてそれはいきなりだった。

いきなり、数歩先にいたはずの女性が、私の真ん前に立っていた。

首に感じる微かな圧迫は、彼女の手によるもの。
そう頭が理解したのは、数秒後、彼女の目が細められたのを見た後だった。


「ずいぶん鈍い。よくそんなので生き残れたわね」


ぐっ、と指が肌に食い込む。そんなに強い力じゃないのに、苦しい。さっきまでの陰気な雰囲気とは違う、冷たく鋭い空気に、ますます危機感を感じた。


「これ、貰うから」


そう言って、私のポケットから薬草を取り出す。


「次に"外"で会えるといいわね。貴女なら簡単に殺せそう」


そしたら簡単に標識も手に入るしね、独り言のように言った彼女の手に更に加わる力と、上へ持ち上げられる感覚に呼吸が難しくなる。
苦しさに、手をほどこうと力を入れても女性の指は離れない。
そして目の前がかすみ始めた時、いきなり首の圧迫感がなくなった。
足の力が抜けて地面に崩れ落ち、咳き込む。

自分の喉を通る空気の音と、女性が去っていく足音が建物に反響した。

女性が居なくなっても恐怖心は居残り、手足の震えが止まらない。空気を吸っても吸っても、苦しいままだ。視界が涙で滲み出す。


もう、嫌だ


何度そう思っただろう。そんなこと思っても意味のないことだと、割り切れてしまえば、どんなに楽なんだろうか。いっそのこと死んでしまえば、恐怖と戦わなくて楽になれるんじゃないだろうか。


でも、『死』に行き着くまでの過程が怖い。


ただただ、早く安全な場所に行きたい。早く、家に帰りたい。


銃は出しやすいようにしてても、結局意味がなかった。
そもそも、ただの学生にこんなの使えるはずないじゃないか。


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