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□黄昏と君
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死ねと言うのなら、殺してくれればいい。

消えろと言うのなら、消してくれればいい。


そんな単純なことなのに、奴らは口先ばっかりだ。

そんなに死んで消えて欲しいのなら、さっさと殺してしまえばいいのに。そうしたら、お互い楽になるのに。

結局は、死ねにしろ消えろにしろ、ただ、相手を罵って鬱憤を晴らしたり、精神的に追いつめるだけの言っている側の自己満足に過ぎない。

ただ、ついでに死んでくれたらいいな、ってくらいだ。そんな奴らに付き合っていられるか。


空を見ると、もう日は沈みはじめていて、辺りは橙色に染まっている。夕日は素直にきれいだと思う。


ビルの屋上から見える景色は、人がちっぽけで、何もかもがおもちゃのようだ。


強い風に吹かれて、プリーツスカートと胸元のリボンがはためく。


ここから飛び降りたら、今の煩わしさから解放される。もう、奴らに付き合わなくてすむ。


そう考えれば、とても魅力的な選択なのに、どこか虚しいのは何故なんだろう。


フェンスをよじ登り、遮る物が何もない場所に降り立った。網目越しではない夕日はさらにきれいだ。


景色も、風も、小さい子供の声も、何もかもが澄んでいて、こんなに感覚をめいっぱい使ったのは初めてかもしれない。


たった十数年の命、なんて聞こえはいいけど、犬より長く生きられたし、十分かな。それに、私が死んで悲しむ人なんているのかな。


私が一人死んだところで、世界は何も変わらない。私の時間が止まるだけで、他は何も変わらない。たった一人が世界からこっそり消えるだけだ。


なんだか、そう考えると、今まで無理して生きなくてもよかった気がする。


私、柄にもなく頑張ったんじゃない?


こんなに夕日がきれいだって、気づけて良かったよ。


「あの」


唐突に背後から声が聞こえた。

振り向くと、若い男の人。肌が真っ白で、無造作な黒髪とひどい隈がある。

手にはなぜかケーキの乗ったお皿。


私はまさかこんな展開になるとは微塵も思っていなく、ただ、この変な人を見つめた。


「死ぬんですか」



目の前の人は、そう淡々と言った。


周りには私とこの人しかいないから、私に聞いているんだよな。


それにしても、どこからどう見ても、それをしようとしている人に、そんな淡々と聞くものかな。ケーキ食べているし。



「死んじゃだめですか」




「いえ。死んではいけないということはないです。生きているものなら、生きる自由も死ぬ自由もあるはずです。」



抑揚のない声だが、黒い大きな目は私から反らしてくれない。



「あの…」



何なんだこの人は。止める気もないのに、何で話しかけてくるんだ。



「ただ、もったいないと思ったんです。」



「もったいない?」



「はい。生きられる生命があるのに、それをわざわざ絶つのは、もったいないです。」



そう言うと、最後にとっておいたらしい莓を口に入れた。



「このように、もうおいしいケーキも食べられないですし、最後にとっておく莓の至福の一時も味わえなくなります。」



とてももったいないです、と。この人は言った。



それはもったいないかもしれないけど、私は、こんなになった自分に生きる意味や価値があるのかと思ってしまう。


もう、誰からも必要とされていない。私が消えても、誰も困らない。何も変わらない。


私は、黙って目の前の人を見つめた。



「どうやら、あなたの思うところは違うようですね。」


「人は誰かから必要とされないと、自分の価値を見いだせないことがあります。そして、誰かからの自分の必要性を強く望みます。そうすることで、自分の存在を肯定しようとします。」


真っ黒な目が、私を見つめる。視線を反らしてはくれなくて、私も見つめ返すしかない。



「大企業の社長が社員から頼りにされること、恋人から傍にいてほしいと言われること、小さな子供が母親に抱きしめてほしいとねだること。必要性に大小は関係ありません。」



空は夕日の橙色一色に染まっていて、この人も染めている。きっと私も。



「私は、あなたに死んでほしくない。生きてほしい。それではいけませんか。」


そう言うと、私に一歩一歩近づいてきた。私とフェンス一枚を隔てて。



「生きられる生命があることは、素晴らしいことです。私も、生きます。あなたも生きてください。」




目の前の人は、フェンスの隙間から、手を差し出した。その手も、橙色に染まっている。


帰宅中の子供の声も、もう聞こえなくて、辺りは静かだから、私と目の前の人しかいないような気がしてしまった。



私は追いつめられ過ぎて、はりつめた糸だった。あと少しで命が弾き切れてしまうところまでいっていた。


そんな危うい状態を保ったまま生きて、今日、その糸を自ら切るはずだった。ぷつりと切って、何もかもを無にして、全てを終わらせるつもりだった。私の命は、糸のように簡単に切れて、簡単に後始末できるような、そんな軽いものだと思っていた。


自分をそんなお手軽に考えていたから、私は自分の価値を見いだせずにいた。



でも、もう少しだけ頑張れるかもしれない。こんな私でも生きられるかもしれない。誰からも必要とされなかった私も、今は違う。



死なないで、生きてくださいと言ってくれる人がいる。もしそれが私を止めるための嘘だとしてもかまわない。私を思って嘘をついてくれただけで十分だ。




差し出した手と相手の顔を見つめた。彼は、怒っているのでも笑っているのでもなくて、ただ、全身を橙色に染め上げている。



彼の手をゆっくりとると、少しだけ笑った気がした。









20110311
 

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