クレヨンしんちゃん
□正義のヒーローの短すぎる物語
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みさえは電気も点けずに部屋の片隅にしゃがみこんでいた。その手にもつ一枚の写真は、十年前から何一つ変わらない。
なんであんなことになったのだろう。
今までに何度も繰り返してきたその思いは、虚しく心の中で揺れている。
「まだ起きてたのか?」
ひろしが疲れた顔で訊いてくる。
みさえは電気の光に目を細めると、目の端に溜まった涙を拭う。それを見たひろしは、また部屋から光を奪った。
「あなた……寝ないと。会社で疲れ、溜まってるんでしょ?」
「ああ、でも今日は起きてるよ」
ひろしは闇に沈むみさえの横に腰を下ろした。
「もう、十年になるのか」
「ええ、十年。早い、ものね」
そのやり取りだけで二人は互いの気持ちを察する。
今、言葉はいらない。
ただ黙って隣に居てほしい。
みさえとひろしは手を重ね合わせる。その温かさが胸に染み込んできて悲しみを大きくしていく。
半開きにされた窓から控えめに入ってくる夜風が冷たくて心地よい。
どれくらいの時間が流れたころだろう。
闇に沈む二人は、その姿に気付くことが出来なかった。
「何、してるの?」
その声の主は月の光を受けて、淡く輝いている。
「ああ、ひまわりか。何してるんだ? こんな時間まで」
「そうよ。明日学校でしょ」
「……質問してるのは私だよ?」
ひまわりは二人に歩み寄ると優しい眼差しを向ける。
「お兄ちゃん、の?」
ひまわりの顔に影が射した。
曇天のように曇っていくひまわりの顔に、みさえは思い返したように写真を後ろに隠す。
「な、なんでもないから」
みさえが無理に笑ったその顔は、痛々しかった。
「なんで、隠すの?」
「別に隠したわけじゃ」
「なら、教えてよっ。お兄ちゃんのこと」
「だから……言ってるでしょ? ひまわりが小さい頃に病気で」
「嘘! じゃあなんでお母さんたちは私に隠れてお兄ちゃんの写真なんて見てるのっ」
「そ、それは……」
みさえが何かを言おうとした時、みさえの肩を掴んだひろしが覚悟したような面持ちで首を振る。
「もう、いいだろ。ひまわりに教えてやろう」
「で、でも。しんちゃんは」
弱々しいみさえの視線をひろしは反らすことなく見据える。
みさえは俯いて唇を噛み締めたあと、小さく頷いてから窓の外に視線を送る。多分みさえは今、十年前の光景が見えているのだろう。
「あのね、ひまわり。今から、十年前にあなたには、お兄さんがいたの。すぐにお尻を出したり、人を困らしたりするけど、優しい子で、誰よりもあなたのことを大事にしていたの」
まるで寝る前に子供に絵本を読んでやるような、そんな優しい声。
「十年前のその日も、今日みたいに満月が綺麗な夜だった」
ひまわりもみさえと同じように窓の外に視線をむける。そこには真ん丸いお月さまが星空を舞台に淡く輝いていた。
みさえはもう一度唇を噛み締めたあとに、その口から紡ぎだす。
一人の正義のヒーローの、短すぎる物語を。