Novels 2
□like a flower
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試験期間中のディーノは、恭弥と殆ど口をきいてくれなかった。
家にいる時は自室にこもりきりだし、たまに部屋から出て来ても用事を済ませればすぐに戻ってしまう。
その時だって、勉強の一環なのだろう、片手に持ったメモに目を通してブツブツ言っているから、ものすごい剣幕で怒られた記憶が消えない恭弥は萎縮してしまって、話し掛ける事が出来ない。
部屋に戻られてしまえば恭弥は入室を禁じられているから話は勿論、様子を伺う事も出来なくて、寂しいのとディーノの体調が心配なのとで、もうひとりの飼い主が帰宅するや否やその気持ちを訴える事が日課になっていた。
「午後に帰って来てから殆ど部屋から出て来ないんだ。ご飯も食べてないし、たまに見る顔も疲れてるみたいだし、このままじゃ倒れちゃうよ」
「大丈夫だって」
弟が試験期間に突入してからと言うもの、毎日恭弥にそう泣きつかれているからディーノも慣れた風で、安心させるように小さな身体をを抱き締めあやしてやる。
「試験期間中の学生なんて大概そんなもんだし、あいつだって馬鹿じゃねーんだ。倒れたら元も子もないの分かってる。それなりに寝てるだろうし、メシだって適当に食ってんだろ」
「でも、朝だって食べないし、晩ご飯だって」
「多少抜いたくらいじゃ死にゃしねーよ。それよりお前だって腹減ってるだろ。すぐ晩飯作るから待ってろ」
家事全般を取り仕切っていた弟が使い物にならないから、今それらはディーノの仕事だ。
ぐずる恭弥を待たせておいて、ディーノはワイシャツ姿で夕食の支度に取り掛かった。
「恭弥。ちょっと仕事頼む」
夕食もその後片付けも終えた頃、恭弥はディーノに手招きされた。
「これ持ってあいつの所行ってこい」
差し出されたトレイにはマグカップと軽食がのっている。
勉強中のディーノへの差し入れなのは分かったが、恭弥はそれを受け取れない。
「僕、部屋に入っちゃ駄目って言われてる」
「勉強の邪魔しなきゃあいつは気にしねえよ。何か言われたら俺の手伝いって言っとけ。それともいっこ、こっちのが大事な仕事」
「何」
「もしあいつが寝てたら、ぶん殴ってでも叩き起こせ」
押し付けられたトレイを抱えた恭弥は目を丸くする。
ここ数日のディーノは、いつも疲れた顔をしていた。
肉体の疲労を取り除くのに睡眠は一番効果があるのだ。睡眠不足と疲労で寝てしまったと言うなら、それを取り上げるなんて出来ない。
そう食い下がってもディーノは『命令』を撤回してくれないから、已む無く恭弥は飼い主の言う通り、トレイを抱えてディーノの部屋へ向かった。
何度ノックをしても応えはないから、恭弥は無断でドアを開けて室内を見渡す。
煌々と明かりの満ちる中、兄の予想通りディーノは机に突っ伏して眠っていた。
「……ディーノ。起きて」
小さな声では金色の睫を揺らす事すら出来ない。
その睫が影を落とす目元は、疲労故か沈殿した色素が薄く広がっている。
白皙の肌との対比でそれは、ひどく痛々しく見えた。
身体に疲労を溜めたディーノは今、穏やかに眠っている。
今すべき事は風邪をひかないよう毛布を背に掛ける事で、間違っても叩き起こす事ではない筈だ。
でも飼い主の命令は絶対で、どんなに理不尽であってもそれを履行しない訳にはいかない。
脇にトレイを置き、再度の声掛けにもディーノが目覚めない事を確認すると、恭弥は致し方なく握った拳を、それでも力を込めてディーノの後頭部に振り下ろした。
「――――っ!!」
さすがに覚醒したのか、声も無く呻くとディーノは瞬時に飛び起きた。
「って……こら恭弥!何してんだてめ!」
「寝てた、から」
「ああ?」
「あなたが寝てたら殴ってでも起こせって、あの人に言われたから」
「あ!?嘘だろ、寝てた俺!?うわ、今何時だ!」
大慌てでディーノは時計を確認するも、時計の表示は記憶にある時間からさほど進んではおらず安堵の息をついた。
「あっぶねー。起こしてくれてありがとな、恭弥」
気持ちよく眠っていたところを文字通り叩き起こされたのに、ディーノは怒っていないようだ。
むしろ、笑顔で礼まで言われた恭弥の方がどうしていいか分からなくなってしまう。
「ご飯、持って来た」
「ああサンキュ。もう少しキリいい所まで進んだら食うから、そこに置いといてくれ」
「うん」
すぐにディーノはまた机上に広げた本やノートに没頭してしまったけど、その態度に恭弥が傷付けられる事はなかった。
久し振りに口をきいてくれた。
久し振りに大好きな笑顔を見せてくれた。
部屋に入るなと言う命令を破っても怒られなかった。
小さな事だけど、それらは恭弥にとってとても大きな嬉しい事。
嬉しくて、抱き付いて甘えたいけれど、多分今それをしたらまた叱られるのだろう。
なら、叱られなくなった時にいっぱいそうしよう。
寂しいけれど、それまではいい子でいる。そうしたらきっとディーノは褒めてくれるから。
小さな決意を胸に、恭弥は音を立てないように部屋を出て、そして今度はもうひとりの飼い主の元へ一目散に走って行った。