リクエストSS
□ON・OFF
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本を読み終えた雲雀は、一息ついてそれまでの集中を解いた。
途端、それまでは聞こえなかった音や視界に入らなかった光景が、洪水のように押し寄せてくる。
大きなホテルの最上階に位置する広い部屋。仕切られて尚広々とした一室の片隅で雲雀は身体を伸ばし、そして辺りを見回した。
一番大きな音と目にうるさい光景の出処は、室内反対側の奥の壁に掛けられた大きな液晶テレビ。
外国人の男女が外国の言葉で何やら話しているが、雲雀にはさっぱり理解出来ない。
壁から離れて置かれたソファーにディーノがだらしなく座っている。
傍らに放られたリモコンや、今再生されているものであろうDVDのパッケージを鑑みることなく、目をぼんやりとテレビに向けていた。
音量は決して大きくはない。
アクション映画ではないらしく、映像も目まぐるしいという程のものでもない。
けれど雲雀は何故だか気に触った。
雲雀はソファーに近付いた。だらしなく投げ出されたディーノの足を背もたれ代わりにして、絨毯に座り込む。
しばらくそこでトンファーの手入れをしたり委員会の調整作業をしたりしていたが、やがてすることがなくなった。
そうしたら、相変わらず垂れ流されている異国の言葉がやけに耳障りに思えてきた。
雲雀はソファーによじ登る。隣に座ったのだから認識していることは間違いないのに、ディーノは画面に顔を向けたままだ。
「何見てるの」
「映画。昔の」
「イタリアの?」
「そう」
それきり会話も終わってしまった。
雲雀だって無駄な会話は嫌いだけれど、いつもはディーノの声だけが聞こえるこの部屋に異質な音が響く方が嫌だった。
「ねえ」
おもむろに雲雀はディーノの膝に乗り上げた。
ディーノは少しだけ驚いたような顔をしたけれど、すぐそれまでの無表情に戻ってしまった。
「んだよ」
鼻の頭に皺を寄せた雲雀がムスッと睨みつけていると、ディーノは大きな息を吐いて雲雀の頭を抱き寄せた。
もっともそれは抱擁などでは全然なく、ただ雲雀が邪魔で画面が見えないから退かしただけだと悔しいくらいによく分かったから、尚更雲雀は不愉快になる。
人を放置して己の作業に没頭するのは好きだが、そうされるのは嫌いなのだ。
「それ、いつまで見てるの」
「終わるまで」
「あとどれくらい」
「知らね」
いつもとはまるきり違うぞんざいな言葉に、とうとう雲雀の苛立ちが沸点に達した。
「いてててて!」
顔を埋めた首筋の、丁度髑髏のある辺りに力いっぱい噛み付いた。
当然ながらディーノは悲鳴を上げて雲雀を睨みつけた。
「いきなり何すんだお前は!血が出てんじゃねーか!」
「あなたが悪い」
「はあ!?何が!何で!俺が何したよ!」
「暇なんだ。構え」
「ああ!?それはこっちのセリフだっつーの!何度声掛けても完全シカトぶっこいて本読んでたのそっちじゃねーか!」
室内に流れる異国の言葉を掻き消す大きな声。
よく知っている、ディーノの声だ。
ディーノはその後もがーがー文句を言っていたけれど、一通り言いたいことを言い終えるとようやく膝上の雲雀を抱き締めた。
「スッキリした?」
「おー……」
「じゃあ構いなよ」
「お前なあ……」
文句を言われることも、口を挟む隙もない程一方的に捲し立てられることも嫌いだけど、それがディーノの声で成されるなら不思議と不快感はなかった。
雲雀はディーノの首元に顔を寄せる。
噛み付いた皮膚から流れる血をぺろりと舐めた。一度だけではなく、何度も何度も。
「お前は猫か」
呆れたような苦笑混じりの声は、さっきよりずっと柔らかくなっている。
見上げた先の顔もさっきまでの無表情ではなくなって、見慣れた笑みを湛えていた。
不意に、一切の音が消えた。ディーノがテレビの電源を落としたのだ。
「まだ途中なんだろ」
「お前の顔見てる方がいい。よく考えれば、お前が甘えてくるなんてそうそうないもんな」
雲雀にそのつもりはなかったが、膝に乗り上げ身を寄せて構えと強請る様は、確かに甘えのそれだ。
「何しよっか」
「て」
「手合わせは駄目。室内だから駄目」
「じゃあ、あなたのしたいことでいいよ」
渋々そう言ってから、雲雀は己の発言を後悔した。
明るい蜂蜜色の瞳が甘く細められたからだ。
「俺のしたいことしていいんだ?」
耳のすぐそばで囁かれる。耳朶が、かし、と噛まれた。
痛みはない代わりに、背筋を何かがゾクゾクと這い上がる感覚がある。
その感覚を追うように、大きな手が背を弄った。
「いいんだ?」
それは問い掛けではなくて、確認だった。
前言を撤回するなど卑怯なことが出来る筈もないし、また、一方的に追い上げられるのも癪に障る。
「いいよ」
せめてもの意趣返しにと、雲雀はディーノの唇に噛み付いた。
少しだけ滲んだ血は首元のそれよりもずっと甘くて、それまでの無聊を瞬時に埋めてくれた。
2015.04.18