リクエストSS

□雨がやむまで
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静まり返った部屋。微動だにしない空気。変化のない体感温度。
本来それらは安眠を約束してくれるべきものだが、雲雀にとっては目が覚める程の違和感をもたらすものでもあった。

(いない……)

手足を伸ばして尚余りある広いベッドの中には、一緒に眠った筈のディーノの姿がなかった。
あるべき筈の彼の寝息。寝返りを打つ際の空気の揺れ。そして彼の体温。
なくなると自然と目が覚めてしまうくらい、それらは雲雀の安眠にとって必要なものになっていた。
それを知っているから、ディーノは夜中にベッドから抜け出さない。急な仕事が入った時は致し方ないが、その時ディーノはまず一度雲雀を起こし事情を説明してくれる。

それがないのにディーノの姿がない。
ベッドから降りた雲雀は、窓を覆っていたカーテンの隙間から外を眺める。防音ゆえ、決して音は立たないけれど、大粒の雨がガラスを叩いている様子は分かった。
それを一瞥して雲雀は歩き出す。まだ温もりのあるベッドではなく、リビングへと通じるドアに向かって。

ベッドルームに続くリビングには、予想通りディーノの姿があった。
ソファーの背にもたれて立つ彼が見つめるその先は、開け放たれた大きな窓。
勢いよく夜闇を切る雨粒が、枝葉を蹂躙し、銃弾じみた勢いでバルコニーに叩き付けられる。
風で梢が擦れ、葉がざわめく。
風雨が吹き込む室内で、ディーノはただぼんやりと窓の外を眺めている。
すぐ側まで歩み寄った雲雀に気付きもせず。
雲雀が風に煽られる金の髪をくい、と引くと、そこでようやくディーノの瞳に光が灯った。

「恭弥」

と顔を向けた彼の表情は、迷いや苦しみなど微塵も感じさせない、いつものそれに戻っていた。

「あー、わり……やっぱ起こしちまったか」

「別にどうでも。喉が渇いたから来ただけだ。これよこしなよ」

テーブル上に置かれた水のボトルに雲雀が手を伸ばした時、部屋に充満していた嵐の音がぴたりとやんだ。
ディーノが窓を閉めたのだ。

「おいで」

ソファーに戻ったディーノに手招きされて近寄ったけど、雲雀が座ったのは彼の隣ではなく、絨毯の上。
今は何となく、彼の顔を見る事の出来る位置にいない方がいい気がしたから。
ディーノの足元に座り込んだ雲雀の頭を大きな手が撫でている。
いつもと変わらぬ温もりが気持ちよかった。

「今夜はひでー雨だな」

「明日の朝まで降るそうだよ」

「そっか」

「雨、嫌いなの」

「そうだな。特にこんな雨の夜は」

それは何故かと問おうとして雲雀は口を閉ざす。窓の外をぼんやりと眺めていた暗い表情を思い出したからだ。
らしくもない気遣いをディーノも分かったようで、小さく笑った後、頭に乗せていた手を頬に滑らせてよこした。

「昔な、こんな雨の夜に嫌な事があってさ」

「そう」

「十年近く昔の事だから、当の昔に吹っ切れて忘れてたと思ったんだけど。思い出しちまった」

「ふうん」

「初めて人を殺した時の記憶っつーのは、死ぬまで覚えてんだろうな」

それきりディーノは口を閉ざしてしまったから、雲雀は正直安堵した。
何でもない事みたいにそんな事を言われて、どんな相槌を打てばいいか分からなかったからだ。
十年近く前という事は、恐らく父親の後を継いで間もない頃か。
その時彼の身に何が起きたのかなど知る由もない。
今の自分とそう変わらない年齢だった彼が、暗く寒い雨の夜、どんな気持ちで、何を考え、どうやって人を殺めたのかも。

それは、想像する事しか出来ない。身近な誰かを亡くした事も、誰かを殺めた事もない自分だから。
でもひとつだけ言えるのは。

「それで今あなたが生きているなら、それは間違いじゃないんだよ」

正義なんてどうでもいい。誰かの思惑なんか知らない。
雲雀の頭に、頬に灯る温もり。いつもの彼の温かさ。
それが失われずここにあるという事だけが、雲雀にとっては正しい事だ。

雲雀がディーノの足に身体を預けると、すぐに頭が強い力で抱き寄せられた。

「今夜、お前がいてくれてよかった」

どれだけ経ったのか分からなくなるくらいの長い沈黙の後、震える小さな声でディーノがそう囁いた。
その時のディーノの声を、言葉を、きっと雨が降る度に思い出す。
そんな確信を胸に、雲雀は静かに目を閉じた。
雨がやむまではこうしていようと思った。

それが例え、朝になろうとも。



2014.04.13
 

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