リクエストSS
□太陽の道
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「楼に上げてくれてありがとな。すっげー嬉しい」
客を迎える為に設えた座敷に、ディーノはそれはもう嬉しそうに現れた。
雲雀はいつも以上に無表情だったけれど、前回までとは違い、膳の世話をしたり酌をしたり口をきいたりする度にディーノは大げさに喜ぶから、どうしていいか分からなくなる。
「あなたが特別な訳じゃない。馴染みの客には皆にこうするよ」
告げた言葉はディーノへの牽制、と言うよりは、自分への戒め。
ディーノが特別な存在などではないと言い聞かせない事には、無表情の仮面を被り続けていられない気がしたからだ。
座敷に続く隣の間には、褥の支度が済んでいる。この男はどんな風に自分に触れるのだろうか。
そう思う度雲雀の背に緊張が走り、鼓動が早鐘を打つ。
(本当に、どうかしてる)
水揚げの時だってこうまで緊張しなかった。
もう、幾度となく重ねてきた行為だ。
普段通り肌を合わせ、明け方になって帰る男を見送る。
それだけの事なのに、どうしてだかそれがひどく難しい事のように思えた。
やがて食事の膳が下げられて、続きの間には灯りが入れられる。
床入の刻になっても、けれどディーノは話す事をやめない。
どういうつもりだと焦れた雲雀が杯を持つディーノの手に触れ、やんわりと誘いを掛けるが、分かっているのかいないのか彼は笑みを浮かべるだけ。
「床の支度は済んでるよ」
「あ、わり。長話に付き合わせちまったな。眠い?疲れた?」
もしや本当に分かっていないのかと思い、雲雀は直接的な言葉を告げるも、ディーノの返事はあまりに予想外で思わず脱力しそうになる。
「バカにしてるの」
「ちげーよ」
「なら、抱きなよ。その為に来てるんだろ」
ディーノの膝に片手を置いて上目遣いで見つめると、見る間に彼の顔が赤くなる。
喉の鳴る音が聞こえたが、ディーノは雲雀に手を伸ばしはしなかった。
「あの、さ。どうしてもしなきゃいけない訳じゃねーよな?」
勿論そうだ。座敷に上げた客は望むままに過ごせばいい。
今までも床入せず帰った客がいない訳ではない。
けれど初めて迎えるその時を反故にした男など、雲雀が知る限り、いない。
「その代わりって訳じゃねーけど、お願い聞いて?」
「……何」
「お前の名前、知りたい」
「知ってるだろ。雲雀だ」
「それじゃなくって、親がつけた名前。他の奴は呼ばない、本当の名前」
そんな事を知りたがるのは無粋の極みだ。
それを知っているからどんな客だってそんな事を聞きはしない。
「お前の事もっと知りたい。嫌じゃなかったら教えてくれねーか。そんで、お前の事色々聞かせて」
客の話に合わせられるくらいには知識も話題も持っている。
けれど自ら、それも自分自身の事を話して聞かせるなど考えた事もなかった。
「僕はあなたみたいに見聞が広くない。あなたが楽しめる話題なんて持ってないよ」
「どんな事でもいいんだ。好きなものとか、昨日何してたとか。あ、でも他の男の話はナシな。妬いちまうから」
素っ気ない物言いに気を悪くした風もなく、ディーノはいつもの笑みを浮かべている。
躊躇いがちに伸ばされた手で髪を撫でられる心地よさに、雲雀は小さく口を開いた。
「……恭弥」
「ん?」
「名前」
「恭弥……綺麗な名だな」
「知らないよ」
「これからそう呼んでいいか?」
「好きにすれば」
「んじゃ恭弥。お前の好きな色、何。好きな花とか好きな柄とか」
「どうして?」
「色々贈りたい。お前の好きなもの、沢山」
ニコニコと笑うディーノに根負けして、雲雀は訥々と言葉を零す。
それをディーノは嬉しそうにずっと聞いていた。
その内ディーノの頭がこっくり揺れ出すのを見て、雲雀は再び床へ誘う。
「……えっと」
「しないならしないでいい。朝まで寝てなよ」
「お前は?」
「客を放っていなくなる訳にいかないだろ。僕はこの部屋であなたが起きてくるのを待つよ」
「そんなんだめだろ。お前も一緒に寝ようぜ」
ディーノは返事も待たずに雲雀の手を引き、続きの間に足を踏み入れる。
暗がりの部屋の中、灯りに浮かぶ緋色の褥。この上で幾人もの男に身を任せてきた。
「おいで」
腕を引かれ、雲雀はディーノの隣に横たわる。
「朝までこうしてて」
ディーノの胸に抱き込まれた時、ふわりと雲雀の鼻腔を甘い香りが擽った。
今まで嗅いだどんな香とも違うディーノの香り。
官能的で、でも心落ち着く穏やかな香り。
雲雀がうっとりと香りに酔い痴れていると、額に小さな温もりが灯った。
目を上げるとすぐそばでディーノが笑っている。
そして今度は目元に同じ温もり。
小さな口付けは心地よく、彼の体温と繰り返し名を呼ぶ低い声音も相まって、次第に雲雀の意識は眠りの淵に沈んでいった。