リクエストSS

□太陽の道
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(どういうこと)

雲雀は身じろぎもせず無表情のまま座敷に座り続ける。
けれど内心の狼狽といったら酷いもので、ともすれば早鐘のように胸打つ動悸が聞こえてしまうのではないかと危惧する事しきりだった。
呼ばれた座敷で雲雀を迎えたのは、ずっと胸を占めていたあの男だったのだ。

「はじめまして……でいいのかな?こういう場所良く分かってねーんだ。失礼があったらごめんな」

ディーノと名乗った男はそう言うと、惜しげもなく満面の笑みを浮かべた。
それは、記憶の中に住む、夕日に染まった彼をあっさり塗り潰す程の鮮烈さで雲雀の胸に焼きついた。

(太陽みたいなひとだ)

落日ではなく、力強く中天にある眩しい太陽。
明かりに照らされた豪奢な金髪が、尚その心地を強める。
細めた瞳は褐色で、上等な砂糖を煮詰めた菓子のように甘そうだった。

すぐに視線を逸らし離れた場所に座ってから、一度も雲雀はディーノに視線を向けなかったけれど、全身で彼の気配を探っていた。
身じろぐ際の衣擦れの音、低く甘く響く彼の声、それらをひとつ残らず、決して取り零さないよう耳に心に留めていく。

「またな」

やがて刻限になり、ディーノは店主に呼ばれて座敷を後にした。
一際鮮やかな笑みを残して。






二度目の座敷でも雲雀の態度は変わらなかったが、その辺りのしきたりは知っているのか、ディーノは初回と変わらず朗らかに語りかける。
彼の生まれ育った国の事、仕事として携わる貿易業の事、他愛のない日常の事。
それらを雲雀は無表情を貫きながら、内心興味深げに聞いてた。

イタリアと言う国の事を、雲雀は全く知らない。
気候も風景も、雲雀の知っているこの地とは何から何まで違うようだった。
彼の声で語られる未知の国。何故かそれを雲雀は鮮烈に思い浮かべる事が出来た。

もっと知りたい。
彼の住まう国の事を。彼自身の事を。
彼の口から。

他者に興味を持つ事が極端に少ない雲雀にとって、こうした欲求は稀有なものだった。
この男に向かう思いの類を自覚して、雲雀はディーノに気付かれないようそっと唇を噛み締めた。

やがて初回同様、店主が刻限を告げに来た。

「また会ってくれっか?」

三度目があるかどうかは全て遊女次第。

「さあね」

それまでの闊達さからは考えられない不安げな声音がひどく嬉しかったけれど、雲雀はあくまでいつもの調子を貫いた。

「これ、やるよ」

ディーノは落胆したようだったがすぐに気を取り直し、脇に置いた包みを雲雀に差し出した。

「じゃあな」

別れ際の笑顔も変わらず朗らかで、また会える事を疑ってもいないようだった。
少しだけ悔しかったけれど、雲雀とて次回がある事は決めているのだから、思いが伝わったみたいで嬉しくもあった。







それから数日後、雲雀のもとに伝達を持った小鳥が飛来した。勿論内容はディーノの座敷だ。
この楼のしきたりで、三度目からは揚屋ではなく楼内の座敷での逢瀬と相成る。
客はそこで初めて馴染みとなり、膳を共にし床入が可能なるのだ。

(あの人に触れられる)

『諾』の文字をのせた紙片を咥えた小鳥が飛び去るのを、雲雀は期待と不安に満ちた瞳で見つめた。
やがて下げた視線の先には、一枚の色鮮やかな絵画。
あの日別れ際、ディーノに渡されたものだ。

添えられた異国の言葉は読めないしその意味も分からないけれど、鮮やかに描かれたイタリアの風景画には目を奪われた。
橙色の明るい太陽。白い雲が浮かぶ紺碧の大空。
白亜の建物を遠くに望む海は、どこまでも青く美しい。
それが、いつかディーノが話してくれた彼の故郷なのだと、聞かずとも知れた。

飽きず雲雀は絵に指を滑らせる。
今夜初めて肌を合わせるであろう男が生まれ育った異国の町。
この遊郭しか知らない自分と異なり、彼はきっと沢山の景色を知っているのだろう。
自分にとっての全てであるこの町の景色は、彼にとってはそれらのひとつでしかない。
住まう世界が違うのだと、改めてその事実を突きつけられた気がしたが、心に生まれた彼ゆかりの国への憧憬はいつまでも消える事はなかった。
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