リクエストSS
□Fragrance
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高い地位に着く者にとって、複数の異性をその手に囲う事はある種のステータスにも繋がる。それは洋の東西を問わず行われている事であり、愛人の持つ財力や権力によっては十分に政治的駆け引きにも使えるカードとなる。
それが大きなファミリーのボスで顔も頭も家柄も良いともなれば、寄ってくる女も多いだろう。
キャバッローネにメリットをもたらすであろう女達をふるいにかけ、結果としてディーノに複数の愛人がいた事は事実であり、それは本人の口からも側近の口からも聞いた事がある。
だがそれを頭で理解するのと、感情がそれを許すのとは別の次元である事を、その時の雲雀は知らなかった。
気が向くと雲雀はふらりとディーノが宿泊するホテルに姿を現す。法則もとりたてて理由もない突然の訪問だが、特に何とも思わずに今日も雲雀は立派なエントランスへ足を踏み入れた。
雲雀は周囲の人間に特別興味を覚える事はない。だから、自分と入れ替わりにホテルから出て行く外国人女性にも、彼女を取り巻く見知った黒服の男達にも特に意識を向ける事はしなかった。
すれ違いざまに視界に入った女性が長身で整った顔立ちであると認識しただけで、次の瞬間には僅かに香る甘い香りごと意識の外に捨ててしまっていた。
雲雀が足を踏み入れたディーノの部屋。もう何度と無く訪れた部屋だが、今日に限ってはいつもと趣が異なっていた。
入ってすぐ広がるリビングルームは他の部屋の性質上応接用に使われる事があるのは知っていた。この場所で書類を広げ部下と打ち合わせるディーノの姿も見た事がある。
けれど自分の知る限りそれは身内に対してのみ行われており、外部の人間を招く事は無かったように思う。
「ゴメン恭弥!たった今客が帰ったばっかりでさ。すぐ片付けるから」
テーブルの上には書類が入ったと思しき数種類の封筒、そしてコーヒーカップとソーサーが二客。
その内の一客には口紅の跡が付いており、無性に雲雀を苛立たせる。
「臭い」
「え?どこが?俺が?」
「部屋」
片付け作業をしながらディーノは鼻を鳴らすが、どうやら分からないようだ。
「さっきの客の香水じゃねえか?」
見かねて口を挟む部下の言葉に、ディーノはようやく腑に落ちたようだった。
「あー、ゴメン。ロマ、換気」
「もうしてる。すまんな恭弥、もう少しだけ我慢してくれ」
決して下品な訳ではないが、間違いなく女性がつける甘い香り。カップについた紅い跡。
部屋のそこここに残る女性の痕跡に自分でも理由の分からぬまま不機嫌になっていた雲雀だったが、持ちきれずディーノの腕の中から滑り落ちた封筒から溢れた物を見て、不機嫌さは最高潮に達した。
「何、この写真」
同じ女性ばかりが写った大量の写真。それはほんの僅か前の記憶を呼び覚ました。
写真に写る女性の顔。部屋に残る甘い香り。
それはつい先程ホテルのエントランスで見て、嗅いだものと同じ。
(さっきのひと)
「変な写真じゃねーぞ!立派な仕事の道具だ!」
「裸の写真を何の仕事に使うって言うの」
カーペットの上に散乱したその写真の中には、下着姿や水着姿、果ては裸の写真まであった。
不機嫌丸出しの雲雀の表情に誤魔化す事は不可能と悟ったのか、ディーノは大きく息を吐くと淡々と説明を始めた。
曰く、彼女はモデルを生業にしておりヨーロッパのみならずアジアにも売り込みたいと考え、ディーノが表の仕事の一つとして持っている化粧品ブランドのアジア地区への売り込み時に自分を使って欲しい、ひいては日本の大手モデルクラブに繋ぎを取って欲しい、との話だった。
「何で裸の写真まであるの」
「身体のバランス見るのに最適だろ」
「その人、そんな写真ばかり撮らせるの」
「化粧品のモデルなんて商品と並んでヌード撮られる事も別におかしい事じゃねぇ。例えヌードモデルだってそれはそれで立派な仕事だ。人の仕事馬鹿にする様な事言うな」
窘められて雲雀は一旦口を噤むが、一つだけどうしても気に掛かっている事がある。
「何で……あなたに仲介を頼むの」
「それは……」
「ボスの昔の愛人だからツテ頼ったんだろうよ」
「ロマーリオ!」
「事実は事実としてちゃんと教えてやれ。後から変な風に話が伝わるよりマシだろうが」
『愛人』
予想以上にその単語は雲雀に衝撃を与えた。それを見て取ったのか、ディーノは困った様な顔になり口ごもる。
「あー……悪ぃ。その……そー言う事だ。けど昔の話だからな!今はそんなの一人もいねーし!あいつとも今はそんなんじゃねーし!」
(気分、悪い)
言い募るディーノをどこか遠くに感じ、雲雀はやけに苛々する自分に気付いた。
元愛人の写真も、彼女が使ったカップも、部屋に残った香りも、何もかもが気に入らない。
「帰る」
「恭弥……」
「何だか気持ち悪い。この部屋にいたくない」
「すぐ換気終わるから。何なら別の部屋用意させるし」
「やだ」
部屋もそうだが、今は何よりも
「あなたの顔、見たくない」
「きょ……」
絶句するディーノを押しのけて雲雀は部屋を出た。
イラつきの理由も分からぬまま。