リクエストSS
□アイスルココロ
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路地裏に何かが倒れ落ちる音が響く。
人通りの多い表通りからは死角になり、わざわざ覗き込む物好きでもなければまず興味を惹かれない細い通路。そこに、倒れたポリバケツと共に地面に横たわっているのは一人の男。
「こ……このガキ!」
周囲には、元はポリバケツに収まっていたと思われるゴミが散乱しており、その中から男はガラス瓶の欠片を取り上げ目の前に立つ少年―雲雀恭弥目掛けて投げ付けた。
雲雀が手に握ったトンファーを一閃すると、パリンと甲高い音を立ててガラスの凶器は砕け散る。
零れる破片に構う事なく雲雀は逃げようと四つん這いになる男を蹴り転がした。
「ぐっ……た、助けてくれ……」
「命乞いは嫌いなんだ」
雲雀が、握り直したトンファーを男の脳天目掛けて振り下ろそうとしたまさにその時。
「はい、そこまで」
この場にふさわしくないのんびりとした声が割り込んできた。
「邪魔するな。もう終わるからその辺で待ってなよ」
「邪魔しなきゃこの男半殺しだろー。はい、腕下ろして」
突然現れた金髪の青年は後ろから掴んだ雲雀の手首を力任せに下ろし、地面に這いつくばる男を見下ろした。
「恭弥の顔知らないあたり並盛の住人じゃないんだろーけど……悪い事言わねーから、死にたくなきゃ暫くこの辺に顔出すなよ」
男は言葉も出せずに必死に頷いている。
「分かったらとっとと行け。ただし今度見かけたらこいつを止められる自信はないから、そん時は諦めろ」
男は立ち上がると全身の力を振り絞ってその場から走って逃げ去った。
「離せ」
いつまでも手首を拘束されて気に触ったのか、雲雀は力任せにディーノの手を振り払うと腹立ち紛れにトンファーを閃かせる。
「おーい、八つ当たりすんなよ」
ディーノはその攻撃を難なく避けると危険な武器を取り上げ、細い身体を腕の中に閉じ込めた。
「ったく、電話中に急にいなくなったと思ったら……」
「周りを威嚇しながら歩いてたからね。気に入らない。それより続き、あなたが相手してよ」
腕の中から見上げる黒い瞳はまだ戦意に溢れている。
「弱すぎて、準備運動にもならなかった」
雲雀は眉間と鼻の頭に皺を寄せディーノを睨みつける。
ディーノは苦笑してそんな雲雀を眺めていたが、ふと雲雀の頬に走る一本の傷に気が付いた。
「怪我してんじゃねーか」
「ああ……さっきガラスで切ったのか」
「わーっ、こら触るな!バイキン入るぞ!」
「あなた、たまに母親みたいだよね」
「どーしてもどっちか選べって言われたら父親のポジションのがいいです」
ディーノは、ぐいぐいと手の甲で傷を擦る腕を押さえつけようとするが、雲雀はじっとしてくれない。
「ホテル戻って手当てしような。傷が残ったら嫌だろ」
「あなたと戦えば傷は増えるよ。それから手当てした方が効率的だ。それに傷の一つや二つ残ろうがどうでもいい」
「見てて痛々しいから俺が嫌なの。じゃー先に消毒だけ、な」
頬に触れる唇と傷を舐める舌の感触に、雲雀の身体が粟立つ。ついで訪れたくすぐったさに身を捩るがディーノの拘束は緩まない。
「……やっぱり母親みたいだ」
「まだ言うか。じゃあコレは?」
頬から離れた唇はすぐに雲雀の唇に重なった。
「ふ……」
ぬるりと侵入して来た舌が歯列の裏や口内のあちこちを好き勝手に動き、やがて舌先を雲雀のそれに擦り付ける。
「……っ」
いつになっても雲雀はその瞬間が苦手だった。
絡め合ってしまえば躊躇なくその動きに身を任す事が出来るのに、舌先が触れ合う瞬間は鼓動が一気に跳ね上がり頬は血液が集中して赤味を帯びディーノの服の裾を握る指には力が篭る。
それは緊張と、少しの期待。
強く目を瞑りその瞬間を遣り過ごすと、差し出された舌は雲雀の舌を掬い上げディーノの口内へ連れて行く。
互いの口内を行き来させ、絡ませ、擦り合う舌の動きに睫を震わせ、雲雀は薄く瞳を開いた。
視界に飛び込んで来たのは眇められた鳶色。そこにはさっきまでの保護者じみた優しさはなく、獣のような情欲が滲んでいる。
そんな目で見られたら、雲雀はがんじがらめにされたみたいに動けなくなる。
再び目を閉じる事も出来ず、二人は見つめ合ったまま深い口付けに溺れた。
「ずるい」
長い口付けの後、ようやく解放された雲雀は潤む瞳でディーノを睨み付けた。
こんな、火をつけるのが目的みたいなキスをされて、何も無かったように戦うなんて出来ない。
「俺はお前の母親でも父親でもないから、ずるい手だって使うぜ」
仕上げとばかりに音を立てて施された唇へのキスは、音と同じく軽いものだった。
「不完全燃焼なんだろ?手当てしてから、ベッドでなら受けて立つぜ」
「……」
雲雀の身体の状態はディーノには手に取るように分かる。けれど大人しく言う事を聞かないのは、純粋にディーノと戦う事を簡単には放棄したくないのだろう。
「わーったよ」
こんな時、折れるのはいつだってディーノの役目で。
「明日の昼なら時間取れっから、ガッコの屋上行こうな」
「本当?」
「おう、その代わりタイムリミット付きだ。午後も仕事なんだよ」
「分かった」
ようやくディーノは雲雀を路地から連れ出す事に成功した。
陽は既に暮れかけ、これから二人の下に訪れる夜に思いを馳せるのは容易な事だった。