Novels 1
□寒くて暖かい夜
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飼い主が帰宅するとペットは一目散に出迎える。
恭弥も例外ではなく、飼い主の足音を聞きつけるや否や小走りで玄関へと向かった。
勢いよく突進してきた恭弥を受け止めて笑うのは、恭弥の飼い主のディーノ。
「ただいま」
「おかえりなさい」
いつもと変わらない帰宅の挨拶代わりの口付けを交わし、ディーノは細い身体を抱き締める。
いつもならすぐに二人連れ立って部屋へ入るところだが、何故だか恭弥はディーノに抱きついたまま動こうとしない。
抱きつく、と言うよりは、しがみつくと言った方が正しいか。
「恭弥?どうした?」
「心配すんな。俺もさっきやられた」
ディーノが顔を上げるとそこには、湯気の立つマグカップ片手に廊下の壁に寄りかかる十歳年下の弟の姿。
「暖取ってるんだと」
「は?」
「早く部屋ん中入って来い。恭弥が寒がってる」
「けど、こいつ動かねーぞ」
「あー大丈夫大丈夫。お前が動けば恭弥も自動的についてくっから」
半信半疑のディーノだったが、同じ名前を持つ弟の言うとおりに足を進めてみると、ぎっちりとしがみついたままの恭弥もじりじりと歩き出した。
暖められたリビングの床に腰を下ろすと、腕の中の子供はほっと一息ついてようやくしがみつく腕の力を緩めた。
「そっか。お前、冬は初めてだったな」
ここ数日で急に冷え込み、外はすっかり冬の空気となった。
常に適温に保たれたペットショップのケージしか知らなかった恭弥にとって、初めて迎える冬。もともと体温の低い恭弥にはいささか厳しい季節だ。
飼い主の温かな腕の中から一向に出て行こうとしない姿がそれを物語っている。
ディーノの腕の中、顔を埋めた広い胸から伝わる体温に、冷えていた恭弥の身体がじんわりと温かくなっていく。
けれど、まだ温もりが足りない。
恭弥に温もりを与えるはずのもう一人の飼い主が、さっきから窓辺から動こうとしないせいだ。
「そんな所にいたら寒いだろ。お前もこっち来いよ」
「いや平気。それより外見ろよ。随分冷えると思ったら雪降って来た」
「マジか」
「恭弥は雪見た事ねーだろ。見に来いよ」
兄弟の会話に出て来た『雪』と言う単語。
見た事はなくてもそれが何なのかくらいは恭弥だって知っている。
「やだ。寒いの嫌い」
寒いせいだけではない。
自分じゃなくて雪ばかり見ているディーノが嫌だった。
恭弥にあっさりと拒絶され、ディーノは寂しそうな笑顔を残し窓の外に出て行ってしまった。
総じてペットは飼い主に対する独占欲が強い。
自分以外のものに飼い主が関心を向ける事を良しとしない。
恭弥は特にその傾向が強く、ディーノ達が興味を向けた相手に対し攻撃的になる事も珍しくはない。
今もそうだ。
大好きな飼い主に抱かれていても、もう一人の大好きな飼い主に構ってもらえずつまらない。
かと言って、暖かな場所を抜け出して寒いと分かりきっている場所に行く事も出来ず、恭弥はすっかり拗ねてしまった。
そんな恭弥の感情が、抱いているディーノに伝わらないはずがなくて。
「少しだけ外行こうか」
ソファの上に放り出されていた弟の上着を恭弥に羽織らせて立ち上がる。
最初は渋っていた恭弥だったが、すぐ後ろから香るディーノの匂いと羽織った上着から仄かに立ち昇るもう一人のディーノの匂いに苛立っていた気持ちが僅かに和らぎ、大きな手に引かれるまま庭に面した窓を開けた。
夜遅いせいか、周囲の喧騒は聞こえない。
静まりきった清浄な空気の中、ちらちらと頭上から降ってくる小さな小さな白い雪。
生まれて初めて見る光景に、恭弥はしばし身動きを止めて黒い空を仰いでいた。
きらきらと明るく輝く太陽や木漏れ日。二人の飼い主によく似た明るい光景が恭弥は好きだった。
けれど、それとは真逆の闇と白い光も、同じくらい綺麗だと思った。
「綺麗だな」
恭弥の胸の内を読んだかのように、背後に立つディーノが空を仰いで低く呟く。
いつもは陽の光に照らされて鮮やかに輝く金髪が、今は密やかな色彩に落ち着いている。
そんな色合いも、静かに降り注ぐ雪によく似て綺麗で、恭弥は雪と二人のディーノから目が離せない。
「ちょっとだけ雪に触ってみよう」
ようやく傍に来てくれたディーノに言われるまま、恭弥はそっと指先を空にかざす。
指先に触れた雪は、一瞬で小さな水滴となって恭弥の指を濡らす。
痛くも冷たくもない不思議な感覚。
もっと確かな感覚が欲しくなり、恭弥は腕を目一杯伸ばして空へかざす。
初めて見る雪に、恭弥はすっかり心を奪われていた。