Novels 3

□薄暑
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記憶にある限り、この日をこんなに静かな気持ちで迎えたのは初めてだったと思う。
5月5日。子供の日で大型連休の最中で学校が休みの日。
だから毎年この日は人出が多く、あちこちで群れが騒ぎ、うるさいことこの上ない。もっともそのお陰で好きなだけ咬み殺して回れたから、それはそれで収穫があったけど。
今年は諸般の事情で人出はほぼ皆無。こうして自宅の縁側にぼんやり座っていても、聞こえてくるのは風が揺らす葉ずれの音だけ。
不意に、軽やかな羽音とともに黄色い小鳥が飛んできた。嘴には白い花を咥えている。色も形も綺麗で可憐なシロツメクサだ。

「なに。僕にくれるの」

「ピ」

「そう。ありがとう」

それを見ていたようなタイミングで紫色のハリネズミが駆け寄ってきた。

「キュッ、キュ」

「ワオ。大きなちくわだね。厨房でもらってきたのかい」

「キュ」

「そんなに押し付けなくていいよ。もしかして僕に持ってきてくれたのかな」

「キュ!キュ!」

「じゃあ一緒に食べよう。ほら、君にもあげるよ」

「チクワ!アリガト!」

「キュー!」

思いがけずひとりと一羽と一匹のおやつタイムだ。
もぐもぐと好物を満喫するロールと、小さな嘴の割にはがつがつ食べ進めるヒバード。
シロツメクサとちくわは主への誕生日プレゼントのつもりだろうか。
そうじゃなかったとしても、ほわりと心が温かくなる穏やかな時間を持てたことを嬉しくないと言えば嘘になる。

「静かだね」

風の音、葉ずれの音、小動物たちの愛らしい声。
とても静かで穏やかで、でも、どうしてか、少しだけ違和感がある。

「ああ、今年はうるさいひとがいないんだ」

昨夜、日付が変わった頃にイタリアから電話があった。
今年は日本へ行けないと。顔が見られず非常に残念だと。でもその代わりたくさんのプレゼントを送ったと。落ち着いたらすぐ会いに行くと。
要約すればそんなようなことを非常に大げさな言葉で鬱陶しくも暑苦しく長々と語る彼の声は、いつもの明るさを知っているだけにとても寂しげで静かに聞こえた。

(あのひとが静かだと調子が狂う)

『じゃあな恭弥。誕生日おめでとう。幸せな1年になりますように』

それでも、力強さを感じさせる最後の言葉がまだ耳に残っている。
少し前から感じていた、彼の声を反芻するたび胸の奥がざわざわと落ち着かなくなるおかしな感覚。その理由がいまだに全く分からない。心臓に疾患はないはずだ。

「いてもいなくても存在感があるなんて、迷惑なことだね」

「ピィ」

「キュウ」

言葉の意味が伝わっているのかいないのか、肯定の返事のような小動物たちの鳴き声に気分が上昇する。

「いい天気だ」

爽やかな風。鮮やかな新緑。初夏の気候。そして、愛らしい友人たちからの贈り物。
いつになるか分からないけど、次に彼が来る時には今日のことを教えてあげようと思った。



2020.05.05



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