Novels 3

□fall in love
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息せき切って執務室に飛び込んだディーノは、まるで自宅にいるかのように寛いだ姿で執務机に腰掛ける雲雀の姿を見るな否や、ぐったりと脱力してその場に膝をついた。
一ヶ月間音信不通だったことへの不安と無事でよかったという安堵、それから、来る前に電話の一本くらい入れやがれとか、ああでもそういえばこいつはそういう奴だったとか、何にせよ元気そうな顔が見られて嬉しいとか、それはともかく人んちの大事な執務机にケツ乗せてんじゃねえとか、とにかく一気にいろんな感情が噴出したからだ。

「何そんなに慌ててるの。僕はちゃんと取り次いでもらった筈だけど」

「おう、ロマから聞いたぜ。応接室に通したってな」

それなのに応接室はもぬけの殻だった。
あの忠実な右腕が嘘をつくことはあり得ないしキャバッローネの中枢とも言えるこの屋敷内で不穏な何かが起こる筈もなく、ディーノは焦りと期待と不安という三角関係な気持ちと共に屋敷中を大捜索するはめになったのだ。

「一応ここキャバッローネファミリーの執務室なんだけど。機密情報の山なんだけど」

「細かいことは気にしないよ」

お前じゃねえよ、という言葉をぐっと飲み込み、機密情報って何だっけとディーノは遠い目になった。

「何そのチベットスナギツネみたいな顔。わざわざ僕が来てあげたっていうのに」

「わー嬉しいー」

「いいもの持って来たのに棒読み対応されると見せる気なくすんだけど」

そう言いつつも雲雀はニヤニヤと悪い笑顔を浮かべている。言葉とは違いそれなりに機嫌はいいらしい。

「ほら」

へたりこんだままのディーノの鼻先に突き付けられたのは、画像データを出力したと思しき一枚の写真。
そこに写っている人物を認識した瞬間ディーノは勢いよく立ち上がった。

「おま、これ、なに、なんで!?」

今より十年くらい若い傷だらけでボロボロの自分なんてもはやどうでもいい。その隣に写っている、やっぱり今より十年くらい若くて、隣の自分と同じくらい傷だらけでボロボロで、不機嫌そうに口元をへの字に引き結び、あさっての方向を睨みつけているのは。

「昔お前に修行つけてた頃のだよな!?なんでこんな写真持ってんだよ!」

十年前のあの頃、猫じゃらしを見つけた仔猫よろしくディーノの顔を見るなり飛びかかってくる雲雀とは、ほぼほぼ手合わせしかしていなかった。
会話でのコミニュケーションなんて望めない。記念写真撮影?何それ美味しいの?そんな暇があるなら戦いなよ、などというていたらくだ。
だからあの頃の写真など一枚たりとも存在しない筈だった。それなのに。

「何という奇跡……」

「そんな上等なものじゃない。あの頃のあなたは、並中風紀委員の間ではまだ不審者だったからね。僕に何かあったら即消すために、証拠をおさえようと哲がこっそり撮影していたらしいよ。僕もつい最近まで知らなかった」

日本に戻り過去の資料を整理していたら、デジタルデータの中に該当画像を数点見つけ、その内見切れなく写っていたのがこれだけだったのだそうだ。

「当時は大人だと思っていた昔のあなたが今見ると子供っぽくてね。これは見せて笑いものにしないと、と思って」

「嫌がらせかよ」

不満げな口調とは裏腹にディーノの表情はひどく甘いものになっている。
それもそうだ。思いがけず目にすることが叶った幼い雲雀。
今や最愛の恋人となった彼の、出会った当初のあどけない姿やそれが連れてくる様々な記憶が懐かしく、そして嬉しくない筈がない。

「可愛いな」

当初は可愛げのないじゃじゃ馬だと思っていた筈なのに、今となってはもう、ただただ可愛いとしか思えない。
目を細め感慨にふけっていたところ、前触れもなく写真を取り上げられたディーノは、その拍子に我に返った。

「返せよ。まだ見てんじゃん」

「そんな顔してる人には見せてあげない」

そんなこと言われても、鏡ひとつない場所では自分がどんな顔をしているかなど分かる筈もない。
ただ、雲雀が気に入らない顔なんだろうな、ということだけはうっすらと感じ取れた。表情は変わらないが、纏う空気が、何というかちくちく尖ったものになったからだ。

「あなた、意外と僕のこと分かってないよね」

「は?」

こいつは何を言っているのか、とディーノは首を傾げる。自分が雲雀を理解出来ていないというなら、この世で一体誰が彼の理解者たるというのか。
そもそも人語の通じない野生動物の子供みたいだった頃とは違い、今の雲雀は人語も情緒も兼ね備えた人間に進化している。当然、同業者としても恋人としてもしっかり意思疎通と相互理解は可能だ。

「僕のこと大雑把な人間だと思ってるだろ」

「その通りだろうが」

生来の性格ゆえか、慎重かつ穏便に事を進める自分と違い、とりあえず襲撃するタイプの雲雀について大雑把以外にどう表現するというのか。

「十年も近くにいて僕の繊細さを分からないなんて、あなたも大概だ」

「繊細」

思わず復唱してしまったのが気に入らなかったのか、今度こそ雲雀ははっきりと不機嫌な表情を浮かべ、そしてあろうことかディーノから取り上げた写真をふたつに引き裂いた。
あまりのことに固まるディーノの目の前で、二枚に分かたれた紙片は四枚、八枚、十六枚と、どんどん小さく破られていく。

「さっきみたいな顔は僕にだけ見せていればいいんだ。写真だろうが昔の僕だろうが、今ここにいる僕以外許さない」

フリーズしたディーノの脳が、放たれた言葉を再生しその意味を理解したと同時に空気が動いた。

「待て……っ……ちょっと待て……!恭弥!今の!」

慌てて駆け寄るも雲雀は後ろ手に扉を締め、出ていくところだった。間一髪間に合わず、ディーノは閉じられた扉に顔面を激突させてしまう。

(待て待て待て。まさかヤキモチ?それも昔の恭弥に?)

あまりの痛みに思わず涙目になるが、ここで蹲っている暇はない。だってもう彼の足音が小さくなっている。

「待てって!恭弥!」

ディーノは執務室を飛び出し、がむしゃらに雲雀を追いかけた。
やがて追いついた後ろ姿。昔の危うさなんて微塵もない、大人の男性の背中だ。
ふとそこに幻のように重なる成長途中の薄い背が見えた気がしたけど、髪の間から覗く赤らんだ耳朶を目にした瞬間霧散した。

「だから!お前だけだっつってんだろーが!」

過去でも未来でもない。今目の前にいる雲雀だけを愛しているのだと、いったい何度告白したかすでに覚えてすらいない。
そんな胸の内が聞こえたわけではないだろうが、ちらりとこちらを見やった雲雀が、焦がれるほど静かで綺麗な笑みを浮かべる。
この、胸を撃ち抜かれるような感覚は嫌というほど知っている。恋に落ちたときのそれだ。
告白どころの騒ぎじゃない。苛烈な恋に、何度叩き落とせば気が済むのか。繊細が聞いて呆れる。

だけど分かってる。この先自分は何度も同じことを繰り返す。
何度も心配して、何度も安堵して、何度も叱りつけて、そして何度も愛していると告げるのだろう。目の前の雲雀を、恋する男の瞳で見つめながら。

(嫉妬なんか、する必要ねーのに)

ここから十年後、二十年後の未来は、そんなことの積み重ねで作られる。
立ち止まり、ディーノを待ってくれている彼の姿を目にすると、そう容易に信じられた。


2019.10.19



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