Novels 3

□ゆるやかな迷宮
1ページ/1ページ

「こんな所で何してるの」

自分の名義で宿泊し、その宿泊代も自分で支払っている。正当な権利をもってホテルの一室にいるディーノがどうして文句をつけられねばならぬのか。

「こっちのセリフだ。何の用だよ」

招いた覚えも会う約束もしていない筈の雲雀が不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「手合わせに決まってるだろ」

「決まってねえよ!今日は一日仕事で潰れるからだめって言ってあんだろ!」

「聞いてない」

「LINEしましたー。そしたらお前はやけに可愛らしい鳥のスタンプでOKって送ってよこしましたー」

一瞬だけ「あ」みたいな顔をして目を泳がせたけど雲雀はすぐにそれまで以上の剣呑さで睨んできた。これは多分逆ギレの一種だろう。

「でも仕事はもう終わったんだろ」

低いテーブルの上に乗る数本のワインボトルとディーノの手にあるグラスを交互に見た後、どうだとばかりに構えられたトンファーをディーノは問答無用で取り上げた。

「今何時だと思ってんだ。夜に暴れたらご近所の皆さんに迷惑だからだめ」

「なら、ここでいい」

「そういうことは蛍光灯の一本くらい弁償してから言え」

戦わないと言葉と態度ではっきりさせると雲雀の顔は目に見えて凶悪さを増した。
とは言え約一年間を師匠として付き合ってきたディーノには、この表情が期待を裏切られて拗ねているものだと分かっている。
動物並みの言動や、口よりすぐ出る手足に閉口しても、ディーノにとって雲雀は生まれて初めて持った可愛い弟子だ。出来るだけ雲雀の希望に添いたいと思っているのは嘘じゃない。

「今夜一晩暴れずいい子にしてたら明日戦ってやっから」

「朝から?」

食い気味に身を乗り出す様子に苦笑して、ディーノは雲雀を自分の横に座らせた。

「朝からでも何でも。明日は一日空けてるから好きなだけ付き合ってやるよ」

「最初からそう言いなよ」

「お前はもっかいLINEのトーク履歴読み直せ。今のやり取り全部やってっから」

とりあえず納得したのか大人しくなってくれたものの、雲雀の視線は外れない。バトルからスライドした次なる興味は、どうやらディーノの手の中らしい。

「やらねーぞ」

「どうして」

「酒は大人になってからだ」

「僕はいつでも好きな年齢だよ」

「さらっと未成年者飲酒法禁止違反発言すんな」

「そんな法律より悪いことしてる人に言われたくない」

「まあまあボス。あんただって恭弥くらいの頃は酒も女もつまんでたじゃねえか。保護者もいることだし少しくらいならいいんじゃねえか?」

「ロマ……お前、俺よりずっと恭弥に甘いよな」

「あんたの可愛い弟子だからな」

「可愛くねーよ」

照れ隠しの文句を言おうも二対一では分が悪い。しかもすでに雲雀はワイングラスに口をつけているのだから文句なんか何の意味もない。

「ったく、しゃーねーな。美味いか?」

「よく分からない」

「これだから、味も分かんねーガキに飲ませんのやなんだよ。勿体ねえ」

「子供扱いするな」

「正真正銘子供じゃねえか」

軽口の合間にも雲雀は淡々とグラスを空けていく。いつの間にかボトルはほとんど空になっていた。
ボトル半分飲んだにしては雲雀の口調や顔色に変化は見られない。どうやら相当酒に強い体質のようだ。

(こいつが大人になったらこうして飲むのもいいな)

名実ともにボンゴレの幹部になった雲雀とこうして二人ゆっくり酒を飲み交わしながら、たまに愚痴なんかを挟みつつ多少きな臭い仕事の話をするのは意外と楽しそうだと思った。
数年後、あるいは十数年後の、あるかどうかも分からない空想の時間をぼんやり微笑ましく想像していたから、雲雀がじっと物言いたげに見つめているのに暫く気が付かなかった。

「あ?わり、ぼんやりしてた。何?」

「別に」

「んだよ。言いたいことあるからガン飛ばしてたんじゃねえの?」

言い方が気に入らなかったのか雲雀は眉間と鼻の頭に皺を寄せたけど、何故か不思議と凶悪さは感じなかった。
真意を探るべくじっと見つめていたら、そのうち雲雀は不自然に瞬きを繰り返したり視線を彷徨わせたりした後に、ふいと顔を背けてしまった。常日頃から『目を逸らしたら負け』と言い張る雲雀にしては珍しい。

「どうしてあなたはいつもそうなのかな」

「は?俺?何?」

「子供扱いしてからかって、そのくせ思わせぶりに見つめてくる」

「や、子供なのはそうじゃん。つか思わせぶりとか、別に、俺は」

「知ってるよ。あなたにはそういうつもりもそういう気もない。僕が勝手に意識して深読みして振り回されてるだけだ」

何だろう。今、とんでもなく、すごいことを言われた気がする。
そんな感想が浮かんでる内はまだ余裕があったんだと思う。でも再度向けられた雲雀の表情に、そんな余裕は根こそぎ吹っ飛んだ。
潤む瞳も、目の縁のうっすらとした赤味も酔いのせいだと乱暴に片付けることは出来る。
出来るけど。

「恭弥。ストップ」

今にも開こうとしている小さな口を慌てて押さえた。
今喋らせたらいけない。聞いちゃいけない。本能的にそう思った。
多分それはすごく正しい。聞いてしまったら。きっと。自分は。

「好きだよ」

それなのに雲雀はディーノの手を振り払い、言わせたくなかった一言を真っ直ぐ届けた。

「あなたが好きなんだ」

知っている。知っていた。一年前から、ずっと。
雲雀が自分に向けてくる感情が、強い人間への純粋な興味と執着から恋心に変わっていくのが手に取るように分かった。それが雲雀自身にも気付いていない感情だということも。
恋愛面の感情なんてほとんど発達していない節のある雲雀だから自覚することはまずないだろうし、指摘したところで聞く耳も持たない筈だと安心していた。
保険のために殊更子供扱いを強調し、おかしな空気にならないよう心がけてもきた。
まさかここに来て前触れなく告白されるなど思ってもみなかった。不覚としか言いようがない。

「酔ってんなーお前。やっぱボトル半分は飲み過ぎだ。明日の手合わせに響かねー内に風呂入って寝ろ」

「はぐらかすな」

「酔っ払いの戯言で子供じみた口説き方されても勃たねえよ」

「酔ってない。もう子供じゃない」

体当たり、としか形容出来ない乱暴さで抱きつかれた身体が硬直する。
与えられた唇の柔らかさと小ささに目眩がした。
好きだと繰り返しながら、まるでそれしか知らないみたいにひたむきに押し付けられる稚拙な口付けからは、揺るぎなく真っ直ぐな恋情だけが伝わって、泣きたくなる。

(やめてくれ)

自分はそんな綺麗な気持ちを向けてもらえるような人間じゃない。
血に汚れきった手で、汚れひとつない身体を抱き締められない。
汚く黒い部分ばかりを見てきた目で、吸い込まれそうに綺麗な瞳を受け止められない。
自分も好きだと、愛していると、そう告げる資格がどこにもない。
雲雀が自身の気持ちに気が付かないのをいいことに、ディーノも雲雀への気持ちを隠してきた。
師弟で、同盟ファミリーで、時に連携して戦う仲間。それだけでよかった。それだけでいたかった。それだけであるべきだった。
苦い気持ちを飲み込んで、まだ薄く頼りない背中を抱き締めたくなる両手を拳で堪える。
雲雀のされるがままでいたディーノの唇で、いつしか小さな寝息が生まれていた。
ほっと身体から力を抜いて、眠る雲雀を寝室へ運んだ。
睫毛に光る涙の雫が胸に小さな痛みを連れてくる。でもきっと雲雀の胸はもっと痛いだろう。

「ごめんな」

規則正しい寝息を紡ぐ唇をそっと塞ぐ。
掻き乱された胸から迸る恋情が伝わってしまいかねなくて、臆病な口付けはすぐに解いてしまったけれど。





これからの付き合いや雲雀への向き合い方をどうしよう。そんなディーノの心配は杞憂に終わった。

「手合わせ……」

「出来るか、バカ」

頭を抱えぐったりとベッドに沈み込む雲雀の声は力なく掠れきっている。
完全に、二日酔い患者のそれだった。

「身体起こすだけでフラフラになってる奴が何言ってやがる。二日酔いがマシになるまで寝てろ」

「言うほど飲んでない」

「覚えてねーくせにでかい口叩くな」

顔色変えずに飲んでいたから酒に強いのかと思えばそんなことは全然なく、雲雀はひっそり静かに酔っていたのだと知ったのは今朝のこと。
甲斐甲斐しく看病しながら飲んでいた時のことをそれとなく聞きだしたら、絡んだように告白してきたあの一連のやりとりを雲雀は一切覚えていないようだった。
嘘ではないだろう。稼業柄相手が嘘をついているかどうかはすぐ分かるし、雲雀はそもそも嘘をつかない。
告白の事実がなくなったことを安堵する一方で僅かな寂しさも覚えた。そんな自分勝手さには自嘲するしか出来ない。

「午後には少しマシになってんだろ。動ける元気出たら手合わせしてやるよ」

死んだ魚のようだった雲雀の目にきらきらと気力の光が灯る。そこには、戦えることへの歓喜以上のものは見出せない。昨夜見せた恋心は、酔いが覚めたことで雲雀の意識の及ばない深い部分にしまい直されたようだった。
どんだけバトルマニアだよ、とだけ笑い飛ばしてディーノは寝室を出た。

「ボス。恭弥の具合はどうだ?」

「死んでる。しばらく起き上がれねーな、アレは」

「平気なツラしてたからつい飲ましちまった。悪かったな」

「しゃーねー。けど次はナシな。あいつが興味持ってもぜってー飲ませんな」

心の底から反省と心配をするロマーリオを宥めつつもしっかり釘をさす。
師弟としての正しい関係が壊れてしまっていた可能性もあったと思えば多少の苦言は当然だ。

(けど、やべーな……)

指で触れた唇は昨日のキスを覚えている。
ひたむきでいじらしいキスと告白は、きっとこの先何年経っても忘れない。
その度に湧き上がる雲雀への恋情を、いつまで抑えていられるだろうか。
来年。再来年。五年後。十年後。
いつか雲雀が己の気持ちに気付いた時。それを真っ直ぐ、逃げることを許さない強さでぶつけてきた時。
その時自分はどうなってしまうのだろう。どうするのだろう。
一年前、薄暗い応接室から始まった関係の行く先を、今はまだ決められなかった。

2017.10.14


 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ