Novels 3

□Dio ti benedica
1ページ/1ページ

穏やかな初夏の陽気。窓から吹き込む爽やかな風。明るく清々しい環境とは裏腹に、広い室内には重い空気が立ち込めていた。

「ちっくしょー、恭弥のやろー……」

力なく吐き出されるディーノの恨み言を聞くものはいない。今日この日だけは、何人たりとも近寄るな、厄介事を持ち込むな、と、完全に人払いをしていたからだ。
だがそれも、このままでは無意味なものになってしまう。

「昨日からメールも返さねえ、電話にも出やしねえ。恭弥の奴、どこで何してやがる」

今日、5月5日は雲雀の誕生日だ。
この10年一度たりとも彼の誕生日を祝わなかったことはない。彼が日本で暮らしていた頃はプレゼントの山を抱えて日本へ飛んだし、彼の生活基盤がイタリアに移ってからは、雲雀の希望もあり、主にここキャバッローネ邸で過ごすことにしていた。

たとえ僅かな時間でも、誕生日当日には雲雀の顔を見て直接祝いの言葉を贈りたい。昔はウザがられ文句を言われ続けていたそんなディーノの願いも、今ではごく当たり前のように受け入れられている。今年だってそのつもりで予定を立て、早々に仕事を調整し終えた結果、昨日からディーノの身柄は完全フリーになっていた。
だが、昨日から突然雲雀と連絡が取れなくなり、今日の予定がすっかり暗礁に乗り上げてしまったのだ。

雲雀の番号をコールしては無機質な応答メッセージに溜息をつく。幾度となくそんなことを繰り返している内に、気付けば、陽が差し込み明るかった筈の室内は、夕刻の薄闇が満ち始めていた。

「何かあったのかもしれねーな」

ドタキャンが珍しくもない雲雀といえども、何の一報もなく予定や約束を反故にしたことは一度もない。
意外と律儀な性格を鑑みるなら、その一報すら入れられない事態が起きたということだ。

自分達の稼業は常に危険と隣り合わせだ。ある日突然命を落とすことなど珍しくもない。
とは言え、あの雲雀に限って、という意識も捨てられず、ディーノは暫くの間ベッドに突っ伏した姿勢のまま固まった。
硬直を解いたのは、扉を叩く大きな音が響いたからだ。
ディーノは無言でベッドルームを出て、廊下へと続く扉を開けた。そこには右腕のロマーリオが、ひどく緊迫した表情で立っていた。

「何があった」

「恭弥が」

もしや雲雀に最悪の事態でも起きたかと息を呑んだ時、階下からざわめきが聞こえてきた。

「何だ?」

「恭弥が来てる」

「……は?」

思わずへたり込みそうになったディーノだったが、さすがに部下の前で情けない姿は見せられず、咄嗟に表情と動作を取り繕った。

「驚かせんなよ。お前があんまりマジな顔してっから、てっきり恭弥に何かあったかと思ったじゃねーか。ったく、まあでもこれでようやく恭弥の誕生日祝いが出来るぜ」

「出来るといいんだが……」

「あ?何だよそれ」

「遅くなって悪かったね」

ロマーリオに言葉の意味を問い質そうとしたディーノの耳に涼やかな声が飛び込んできた。
ようやくこの場に姿を現した最愛の恋人を抱き締めようと身体ごと向き直ったが、雲雀の出で立ちはディーノが呼吸と動きを止めるのに十分だった。
黒いスーツの大部分は生地とは異なるどす黒い染みで汚れていた。鉄錆のような独特の臭気と肌上に残るその色に、血だと知れる。

「恭弥!」

「うるさいよ。大声出さないで。これは全部返り血で僕は無事だ」

「けど」

「それより着替えを借りていいかな。さすがにそろそろ気分も悪くなってきた」

ディーノは雲雀の腕を掴み、無言のまま自室へ連れ込んだ。






「相変わらずあなたは心配性だ」

「待ちくたびれたところに血塗れで現れる恋人と10年付き合って心配性にならない男がいたら会ってみたいね、俺は」

雲雀の言葉を疑うわけではないが、この目で無事を確かめないことには気が収まらない。
不満を述べる雲雀を押し切って、ディーノは着衣のままバスタブに入り込み、雲雀の裸体を抱き締め見分した。
小さな擦過痕や切り傷は幾つかあるものの、出血を伴う傷口は見当たらない。
一通り雲雀の肌を確認し、ようやくディーノは安堵の溜息をついた。

「どこで何やってたんだよ」

「企業秘密、と言いたいけど、明日には正式に沢田から連絡がある筈だからいいか」

あえて無感情に雲雀が告げた事実は、やるせなく血生臭く、けれどこの世界では嫌になる程ありがちなことだった。

「ナポリの下町に貧困層の支援をしている教会があったんだ。病気や怪我で働けない老人。親がなく、いつ飢えるともしれない子供。そういう経済的困窮者のシェルターの役割を担ってた。沢田もその理念に共感して、ボンゴレの名を出さずに密かに援助をしていた」

「ツナらしいな」

「でも取り壊された。その土地を欲しがった欲深い人間達の手で」

教会に身を寄せていた老人、子供達はもちろん、神父やシスターも放たれた火で生きたまま焼かれた。しかも火の手が上がったのは内部から。

「物乞いの子供に小金を握らせて教会へ送り込んだらしいよ。中から火をつけて火事を起こせ、と」

折からの強風もあり、古い教会はあっと言う間に炎に包まれた。
足が悪い老人達はその場から動くことすら出来ず焼け死んだ。それ以外の者達は、何故か窓や扉を開けることが出来ず、ある者は煙に巻かれ、ある者は炎に焼かれ、またある者は崩れ落ちる木材の下敷きになって死んでいった。
火をつけた子供は危なくなったら助けてやると言われていたようだったが、当然ながら助けなど来ず、口封じを兼ねて見殺しにされた。

「事をしでかした連中の身元が知れたのが一昨日。決定された制裁を実行したのが昨日」

雲雀から告げられたファミリーの名を聞いて、ディーノは少なからず驚いた。悪い噂ばかりとは言え、曲がりなりにもボンゴレの同盟に属するファミリーだったからだ。

「あの教会に沢田が噛んでいることを知らなかったんだろうね。でもそれは言い訳にならない。老人や子供といった社会的弱者が犠牲になったこと、同じ弱者である子供の足元を見てその手を汚させた挙句、見殺しにしたこと。どちらも沢田は許さなかった。だから彼らはしかるべき制裁を受けた」

「壊滅させたのか」

「そうしろとは言われなかった。でも僕を送り込んだってことは、そうなってもいいと判断してのことだろう。ボスだけは生かしたまま沢田に引き渡したけど、そいつをどうするかは知らないよ。知りたかったら沢田に聞くんだね」

「明日ツナから連絡があるんだろ?」

「取り繕った表向きの連絡がね。仮にも同盟ファミリーをボンゴレが壊滅させたなんて公には出来ない」

「道理を知らない新興ファミリーによる不幸な襲撃あたりで手打ちだろうな。ツナもしたたかになったもんだ」

わざと軽い口調で流したけれど、雲雀はそれに乗ってはこなかった。
ディーノの腕の中で目を閉じ深く息を吐く。その仕草がひどく疲れているように見え、ディーノの不安を煽った。

「7人殺した」

感情の乗らない冷えた声がバスルーム内に反響する。

「それ自体は何とも思っていない。彼らはその十倍の人達を殺した。報いは受けるべきだ」

人を殺す。その報復で殺される。
死の連鎖は、簡単には止まらない。マフィアの世界においては。

「ただ、人の命を奪った僕に、生まれ出た日を祝われる資格があるのかなって思ったんだ」

顔を上げた雲雀はもちろん泣いてなどいないし、沈痛な表情をしている訳でもない。
いつもと変わらない無表情。強い力をたたえた黒瞳でまっすぐ前を見据えている。
けれどその瞳の中に微かな揺らぎを見出してしまい、堪らなくなってディーノは腕の中の痩身を抱き締めた。

「あるに決まってんだろ」

ディーノからの着信を、数え切れない程のメールを、雲雀はどんな思いで受け止めたのか。
それらを聞き、読むことで、何を思い、何を考えたのか。
想像することしか出来ないディーノは白い肩口に唇を押し当て、祈るように瞳を伏せた。

「Buon Compleanno. 誕生日おめでとう。恭弥」

彼が誰を殺めようと、彼の手がどれほど血で汚れようと、彼という人間が生を受けた日の尊さ、美しさが損なわれることはない。
誰だってその身に神の祝福を受けてこの世に生まれてくるのだから。

「きっと、あなたの声で、その言葉を聞きたかったんだと思う」

着替える時間すら惜しんで来てくれた理由がそれだと言うのなら、生と死を思う狭間でディーノの言葉を欲してくれたと言うのなら、これ程嬉しいことはない。

「いくらでも言ってやるよ」

10年間言い続けてきた祝福の言葉を、今年も飽きることなく繰り返す。
無慈悲で、凄惨で、理不尽なこの世界の中。今だけは、血で汚れた身体に神の加護があるようにと。




2017.05.05
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ