Novels 3
□新年の誓い
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「……や……恭弥……恭弥ってば」
夢の中、遠くで聞こえていた声は次第に近く大きくなり、最後ははっきりと鼓膜を震わすまでになった。
誰かが自分を呼んでいるのだと認識した瞬間、雲雀はぱちりと目を覚まし反射的に拳を振るった。拳が何か硬いものに当たると同時に声は悲痛な呻きに変わり、消えていった。
「あなた本当に学習しないね」
誰であろうと眠りを妨げる者を雲雀は許さない。その場にあればトンファーで、なければ素手で咬み殺す。
寝起き直後とは言え本能に等しいそれは綺麗にディーノの頭頂部を殴打し、その結果、ディーノはベッドに突っ伏して悶絶している訳だが知ったことかと思う。
「人を叩き起こしておいて何の用」
「叩き起こしてもいねえのに人を叩きのめしたお前が何言ってやがる。日本語は正しく使え」
人から安眠を取り上げておいて説教とはいい度胸だ。ならばその度胸に免じてじっくり念入りに咬み殺してやろうか。
そんな考えが伝わりでもしたか、ディーノはこれみよがしに慌て怯え、謝罪を始めた。何故かわざわざ雲雀が眠っていたベッドに乗り上げて。
「起こしたのは悪かったよ。ごめん。でも、どうしても起きてほしくて」
そう言って指差したテーブル上の時計は丁度0時になるところだった。
「あけましておめでとう」
ピッ、というデジタル音に続いて聞こえたのはイタリア人らしくない新年の挨拶。
顔を上げると眩しい笑顔がそこにあった。
「ヘラヘラして何が楽しいの」
「楽しいっつーか、嬉しいぜ。お前の顔見て、お前の国の言葉で新しい年を祝えるんだから」
ニコニコ笑うディーノの顔は薄暗い中でもよく見えた。
どうしてだかそれから目を離せずにガン見していたら、ディーノは少しだけ笑みを収めて顔を近付けた。
「今年もよろしくな」
朗らかに言葉を紡ぐ唇が額に押し当てられる。それは鼻の頭や頬へと場所を変えながら少しずつ下方へ降りていった。
ぐ、と引き結んだ唇に触れるか触れないかという近さで止まる。物言わず睨み付ける雲雀にディーノは小さく笑いかけて身を引いた。
(なんかムカつく)
苛立ちの赴くまま雲雀はディーノの胸倉を掴んで引き寄せて、再び近付いた唇目掛けて噛み付いた。
どうだとばかりに見上げるとディーノは目を見開いて口を覆っている。血こそ出ないまでもなかなかいい噛み応えだったからよほどダメージが大きかったのだろう。
たかだか新年の挨拶ごときで人の眠りを妨げるからこういうことになるのだと溜飲を下げたその時、ディーノは感極まったように理解不能の言語を発し雲雀を抱き締めてきた。
勢い余って二人してベッドの上に倒れ込む。大きな身体にのし掛かられたせいで、雲雀の反撃は封じられてしまった。
「やべ……俺、すげえ幸せ……」
何やら耳元で囁く声がする。くすぐったさに身をよじるも、それ以上の力で抱き付いてくるから始末に負えない。
「お前にキスしてもらえる日が来るなんて夢みたいだ。はっ、まさか本当に夢か?初夢か?」
「初夢とは元旦から二日、または二日から三日にかけて見る夢のことだ。元旦になったばかりの今はそのどちらにも当たらない」
「夢なら俺の願望が反映されてるだろうに、このいきいきと揚げ足取る可愛くない物言い。てことは現実か。なら恭弥のキスも現実だな。やべえ、超嬉しくて死んじまいそう」
最早どこから突っ込んでいいか分からない。
さっきのあれは攻撃だ。勢いよく噛み付いただけだ。キスなんかじゃ断じてない。そもそもキスの定義というのは何だったか。
眉間と鼻の頭に皺を寄せ、天井を睨みながら考えていたら、急に身体の拘束が解けた。
「好きだよ恭弥。今年も来年もその先も、ずっとずっと好きだ」
合わされた唇も、表面をそっと撫でていく舌先も、言葉と同じくらい甘かった。
「恭弥……」
触れ合うだけだった唇が角度を変えてしっとり重なる。舌が歯列の奥まで入ってきた。
今なら噛み切ることも出来そうだ。さっきと同じくらいの力で噛み付けば、新年早々大打撃を与えることが出来る。
手合わせではなかなか勝てないこの男を、文字通り咬み殺すことの出来る絶好のチャンスだ。
(咬み殺せ)
頭の中で命令する。なのに身体は言うことを聞かない。
肉厚の舌を噛み切ろうと思うのに、実際はそれに擦り付けるように自分の舌を蠢かせるだけだった。
「は……っ……」
口の中を隅々まで嬲られ、絡めた舌を痺れるまで吸われ、ようやく離れた彼の唇は二人の唾液で濡れている。それを拭う赤い舌先がやけに艶めかしい。
「んな顔してっと、襲っちまうぞ」
自分がどんな顔をしているかなんて、見えないのだから分からない。でもこの男と対峙する時はいつも咬み殺したいと思っているから、威嚇し咆哮を上げる獣のような顔をしているのかもしれない。
多分そうなんだろう。だって彼の眇めた目は真剣な光を帯びつつある。
これは戦う時の目だ。互いの武器を交わらせる時と同じくらい、彼は今自分を恐れ勝利をもぎ取ろうとしているに違いない。
だったらこっちだって負けていられない。新しい年の最初の勝利を手にするのは自分の方だ。
「あなたなんかに負けないよ。僕の方が強いんだから」
ベッドの下に隠しておいたトンファーをいそいそと取り出して、戦う構えを取る。なのに何とも言えないおかしな顔に変わったディーノは、一向に鞭を取り出そうとしない。
「早く戦おうよ」
急かし、トンファーの先で身体をつつくも、ディーノは固まったように動かない。
戦いたいと願ったのは彼なのに。あんなギラギラした目で見てたくせに。
「どういうつもり」
ムスッとむくれて文句を言うと、ディーノは大きな溜め息をついてから、おもむろに雲雀の頭の上でぽんぽんと掌を跳ねさせた。
「何」
「いや……夢みたいな幸せの絶頂から世知辛い現実に引き戻されただけだから気にすんな」
「意味が分からない」
「そうだろうな」
やんわりとトンファーを取り上げられて今度は頭を撫でられた。
ディーノはどこか悟ったような顔になっていて、とてもこれから戦うつもりには見えない。
「戦いたかったのに」
「明日嫌ってほど戦ってやるよ。新春初手合わせだ」
取り上げられたトンファーを恨みがましい目で睨んでいたけど、手合わせが確約されたらそんな恨みも綺麗に消えた。
朝になれば戦える。ならば十分睡眠を取り体調を整えねば。
雲雀は即座にシーツの中に潜り込み目を閉じた。木の葉の落ちる音でも目覚める一方、どこでもすぐに眠れる体質でもある。案の定、睡魔はすぐにやって来た。
「今年こそ恭弥に色々教えてやらねーと……主に、俺の為に」
再度の眠りに落ちる寸前聞こえたディーノの声。
何か新しい戦い方でも教えてくれるのだろうか。出来れば確実に彼を叩きのめし、咬み殺す為の方法がいい。
(今年こそ、絶対咬み殺す)
ゆっくりと髪を撫でるディーノの手を心地よく感じながら、雲雀は抱負を胸に再び眠りについた。
2017.01.02