Novels 3

□2015年7月復活祭無配
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バタバタと騒音を立てて廊下を走る音が聞こえる。
応接室付近でそんな真似をする怖いもの知らずの人間など、生徒、教職員問わず並中内には存在しない。唯一それをしでかす部外者の顔を思い浮かべ、雲雀は小さく溜息をついた。
廊下を走るな。歩行時も無駄に音を立てるな。何度も口を酸っぱくしてぶつけた注意と文句はその度にヘラヘラ笑顔で受け流され、結果徹底には遠く及ばない。犬の躾の方がはるかに楽だろう。

「恭弥!」

ノックもそこそこに扉を開けて飛び込んで来たのは、予想通りディーノだった。金色の毛並みを持つ大型犬が、遊んでもらおうとうきうきわふわふ飼い主にじゃれかかる様が、何故か雲雀の脳裏に浮かんだ。
いつもと変わらぬ明るい笑顔。端正な顔立ち。騒々しい言動。
でも一点だけいつもと異なる箇所がある。
彼の手には武器が握られていない。その代わり、そこには小振りな笹の束があった。

「そんなもので戦う気」

雲雀の中にある嫌いなものリストの上位に位置するもののひとつが、舐められる事だ。特に、常に年上ぶり師匠面を崩さないディーノに舐められる事は非常に腹立たしい。
一気に不機嫌さMAXになってトンファーを構えた雲雀を、ディーノは大慌てで押し止めた。

「ちっげーよ!どうしてお前はいつもバトる事しか考えねーんだ!」

「あなたと他にする事があるとでも」

「恋人に向かって何て事言うんだ!あんだろ!いろいろ!」

「校内で風紀を乱す言動は禁止だと、何度言えば分かるのかな。口で言っても分からないなら身体に言う事聞かせようか」

「違うシチュエーションならともかく、トンファー構えてそんな事言われても嬉しくねーわ!」

「あなたを喜ばそうなんてこれっぽっちも思ってないよ。僕にそんな義理はない。いいから早くそのふざけたものを捨てて武器を構えなよ。どうしてもそれで戦うって言うならそれでもいいけど、僕は手を抜く事もハンデを与える事もしないよ」

「だから!ちげーっつってんだろ!これは七夕用の笹飾り!」

予想もしなかった言葉のせいで雲雀の動きが一瞬止まった。その隙にディーノは雲雀の手からトンファーを取り上げて、壁に掛けられた日めくりカレンダーを指さした。
小さく薄い用紙の大部分を『七月七日』という文字が占めている。しかもご丁寧に『七夕』という文字までくっついていた。

「七夕……」

「どうして日本人のお前がスルーすんのか分かんねえ」

「日本人だからって、どうして覚えていなくちゃいけないのか分からない。これ、どこで拾って来たの」

「人聞きの悪い事言うな。商店街で配ってたんだよ。短冊付きで。ほら」

言われてみれば、ずい、と突き付けられた笹の束には『世界平和』と書かれた短冊が一枚だけ揺れていた。

「短冊、他にもいろいろあったぜ。商売繁盛とか交通安全とか」

「お守りと間違えてるとしか思えないね。その中でそれをチョイスするあなたの感覚もよく分からないけど」

「だって世界平和だぜ」

小さな短冊を指で弾き、ディーノは笑った。
ただそれは、飽きる程見た明るい笑顔とは微妙に異なる、どこか皮肉げな笑顔だった。

「言うだけタダ。書くだけタダ。祈るだけタダってな。神頼みで上手い事成就すんならこれ程燃費のいい願い事はねえだろ」

「燃費の問題なの」

「商売繁盛だの交通安全だのは、叶ったってせいぜい願ったそいつ個人だけじゃん。けどこれは世界中が対象だからな。叶えば俺達みたいな非合法組織はなくなるし、それどころか、諍いがないんだから国家も政治もいらねーよな。平和に生きて平和に死んでく。万々歳だ」

その口調といい表情といい、これは皮肉げなのではなく正真正銘皮肉なのだと、ようやく雲雀は気が付いた。
思えばディーノは優しく穏やかな気性を持つ一方で、平和とは真逆の世界に身を置いている。その世界では不当に人命が奪われ、理不尽な暴力や争いも日常茶飯事だ。
彼はその光景を誰よりも近くで見て、知って、心を痛めながらも、それをもたらす側でもある事実も認め、決してその葛藤を表に出す事をしない。
そんな彼の目に、労力も責任も何もない文字の羅列は、どのように映るのか。

「不愉快なんだ?」

「いいや」

しかし雲雀の予想は外れたらしい。意外にもディーノは真摯な表情になって短冊を手に取った。

「願いが叶う奴がいる一方で、どれだけ願っても小さな望みひとつ叶わない奴もいる。誰かの願いが叶った事で不幸になる奴だっている。万人が幸せになれる世界なんてねーんだよ。安心しろ」

「どうして安心」

「考えてもみろよ。平和で満ち足りて争いひとつなくて皆が規律を遵守する綺麗な世界には、風紀を乱す奴なんていねーぞ。誰ひとり咬み殺せないぞ。暴れられなかったらお前、ぜってーイライラすんだろ」

行儀よく風紀が守られた世界は確かに好ましい。けれど、戦えない世界はつまらない。
ディーノは、眉間と鼻の頭に寄せた皺で雲雀の心境が知れたのか、今度は腹を抱えて笑い出した。本当に、よく変わる表情だと思う。

「全員の希望を反映するなんて無理に決まってる。だからこそ偉い奴らがひとつでも多くの声に耳を傾けて、出来る限りいろんな意見を取り入れて、時には捨てて、大部分の人達が少しでもいいと思える方向性を、時間をかけて十分議論するのが大事なんだ。笹に短冊飾っただけで世界が平和になるなんて、そんな事本気で思ってる奴なんていねえよ」

「なら、願掛けなんか何の意味もないじゃないか」

「意味はあるぜ。願いは希望だ。叶うかどうか分からなくても、叶うかもしれないっていう希望が幸福に繋がる事もある。少なくとも、子供の頃の俺はそうだった」

どこか遠くを見るように細められた鳶色の瞳。幼い彼が何を願い、何を心の支えにしていたのか知る由もないけれど、きっとそれは彼にとって、なくてはならない大切なものだったのだろう。

「だから、これはこれでアリなんだ」

そう言ってディーノは笹の束をカーテンのタッスルに差し込んだ。
七夕の笹飾りとしては風情もへったくれもないし、正直言って邪魔でしかない。けれど雲雀はそれを取り除く事が出来なかった。

「まあ、お前に書かせたらどうせ世界征服とかになるんだろうから、それに比べりゃ全然マシだろ」

「失礼な。そんな事、神頼みしなくたって可能だよ」

「尚悪いわ!」

ひと通り笑って落ち着いて、それでもまだ笑みを湛えた瞳が雲雀を見据えた。

「何でも叶えてやるって言ったら、お前は何を望む?」

胸の奥から、ふわりと不思議な気持ちが湧き上がる。
ディーノと全力を出し切って戦いたいとか、赤ん坊と好きなだけ戦いたいとか、まだ知らない強い相手と思う存分戦いたいとか、常日頃から抱いている願望を優しく吹き消す風のような、そんな不思議な気持ちだった。
物騒な願いが霧散した心地で、雲雀は鳶色の瞳を見つめ返す。
綺麗で優しい瞳が、胸に別の願いを連れて来た。

「僕は」

思ったままの気持ちを口にした。口元を綻ばせたディーノが、それまで以上に綺麗な笑みを浮かべた。
いつか、今ディーノが語った事を思い出す時が来たら、きっとこの笑顔と共に思い出すのだろう。
そう確信出来る程その笑顔は、雲雀の胸に鮮やかに焼き付いた。



2015.07.05配布
2015.11.11サイトUP

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