Novels 2

□Happy Birthday
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何となく予兆のようなものがあったのかもしれない。

息抜きを言い訳に、終わりの見えない仕事の合間を縫って、ディーノは右腕の目を盗み外へ出た。
庭の片隅。木々が生い茂る更に奥。めったに人の通らないそこに、隠れるように彼らがいた。

「ボース。わざわざ人がいない場所を狙ってサボりとは、いい度胸じゃねえか」

「サボりじゃねえ。息抜きだ。何となくフラフラ来ちまっただけだよ。こいつらが呼んだのかな」

「ああ?」

佇む二人の視線の先にいたのは二匹の猫。
生まれたばかりなのかまだ目も開ききらない仔猫を身体で隠し、母親らしき猫がこちらの様子を伺っている。
ぐるぐる響く低音は威嚇の唸り声。少しでも仔猫に手を伸ばそうものなら攻撃するとばかりに、いつでも跳躍に移れる体勢だ。

「何もしねーよ」

人間の言葉が分かる訳でもないだろうが危害を加えないと理解したのか、母猫はディーノ達を見据えたまま仔猫を咥え、茂みに身を隠した。

「ロマ。後で誰かに言って、暫くこの辺に餌置いてやってくれ。この辺は周りの木々で雨風しのげるし水場もあるもんな。あいつらいい場所見つけやがって」

ちゃっかり人の家の庭を寝床にしているくせに敵意丸出しな母猫を思い返すと、苦笑が漏れる。
どれだけ獰猛に威嚇をしても猫は猫。力で人間に敵う筈がないのに。

「母親って強いな。身を呈して子供を守ろうとするんだもんな」

尊敬と憧憬、そして幾ばくかの苦い気持ちが声音に混じったのを聞き留めたのか、ロマーリオがいささか顔を顰めるのが目の端に映り込んだ。

「まだ気にしてんのか。あれはあんたのせいじゃねえ。原因は抗争を仕掛けて来た奴らだ」

敵対組織から仕掛けられる武力行為は、小さな小競り合いから街ひとつ巻き込む抗争までピンキリだ。今回のは後者だった。
不幸にして失われた命も少なくはない。
ディーノの目の前で倒れていた女性も、尊い命を凶弾に奪われたひとりだった。

身体を真紅に染めて絶命していた彼女は、けれどその胸にしっかりと赤子を抱いていた。
生まれて間もない赤子に、自分を取り巻く世界が一変した事など分る筈もない。
汚れを知らない瞳は残酷な程に綺麗でディーノの胸を締め付けた。
息絶えた母親の血塗れの胸元を甘えるように小さな指が握るのを、ディーノは一歩も動けないまま、ただ見ていた。

残酷で凄惨な場面は、けれど、この稼業に生きる者にとって珍しいものじゃない。
自分が手に掛けた命もあった。自分を生かす為に消えていった命もあった。
自分は彼らの屍の上に立っている。そんな事、もうずっと昔から知っている。
今更ひとつの命を取り上げて悲嘆に暮れる程善人ではない。
それでも、この地上で繋がっていく新たな命の誕生を嬉しく思う程度には、まだ綺麗な部分は残っているのだろう。

件の仔猫が、不当に命を奪われた誰かの生まれ変わりだなんて夢物語みたいな事は思ってはいないけれど、叶う事なら、今はまだ閉ざされている瞳に映る世界が少しでも綺麗なものであればいいと思う。

「お?」

沈みそうになったディーノの思考を、胸元から軽やかに流れる音が引き上げた。
それは、この世でたったひとりだけの為に設定したメールの着信音だった。

「ロマ、知ってっか?恭弥な、普段は仕事以外のメールの返事なんて全然よこさねーのに、動物の写真添付すれば返信すんだぜ」

猫の母子を見つけた時に撮った一枚を添付して、くだらなくも平穏な日常を書き連ねた長ったらしいメールを送ったのはついさっき。
表示されたのは

『そう』

とだけ書かれたそっけない本文画面。
ただそれだけの事が、今はひどく嬉しい。

もしかしたら、自分のメールに何か感じるところがあったのかもしれない。
何と言っても彼は、凡人とは人類としての性能が違う。
それに加えて十年来の付き合いだ。
自分の弱さは嫌という程知られている。

「会いてえなあ……」

「今は無理だぞ。先だっての抗争の後処理も済んでねえところに、厄介な頭痛の種があちこちから顔を出してきやがる。あんたには悪いが、こうして息抜きしてる時間だって惜しいくらいなんだ」

「分かってるさ、それくらい。第一俺、あいつが今どこにいるか知らねーもん」

勿論雲雀にだって予め決められたスケジュールは存在する。
けれど、危なげな話に首を突っ込みたがる性質のせいで、決められたスケジュールはどんどん変わっていくのが定石だった。
それでも彼の存在を欲する時は、不思議とこうして繋がる事が出来る。
会えない今は声を聞けるのが一番嬉しいけれど、彼にそれを望むのは贅沢というものだろう。
気紛れにでもメールを返してくれただけで十分だ。

「んじゃ、仕事に戻っか」

「そうしてくれ」

小さく伸びをして踵を返したディーノの胸元から、再びメロディーが流れた。
だがそれは数秒で途切れるメール着信音とは違い、胸ポケットの中でずっと響いている。

「あ?わ!わ!」

大慌てで、でももたついて転びそうになりながらディーノが確認したディスプレイを飾るのは、通話の着信を告げるアイコンと、この十年愛し続けた人の名前。

手が震える。呼吸も心も。痛いくらいに。
次の瞬間耳に届いたのは、焦がれてやまない愛しい人の声。
その声が届いた時、干上がってひび割れた心が優しい水で潤されたような心地を覚えた。
それはきっと、生まれ変わる時のような泣きたくなる程の幸福に違いなかった。




2013.09.08(サイトUP 2013.09.20)
 

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