トラウマ

□見えない恐怖
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私は加賀美奈々。もう30歳になる。結婚し子供もいる。周囲から見たらなんてこともない平凡な家庭に見えるに違いない。そう、平凡で、普通で、何不自由ないと……。





幼児期。
暗い。何も見えない。聞こえてくるのは両親と兄の言い争う声。時々物が割れる音も聞こえた。
「出ていけ!」
母と兄に対して向けた父の言葉だ。私は隠れていた机の下から少しだけ顔を覗かせた。すると母と兄が私一人を残し出ていく姿が目に入った。父はというとお酒を飲み続けていた。
「………うぅ…」
涙が溢れて止まらない。声をあげて泣いてしまったら父が怒るのは幼い私にでさえ理解できる。だから見つからないようにより一層深く机の下に潜り込み、じっと泣きながら耐えていた。


「………奈々、奈々」
誰かが私を揺さぶり起こす。目を覚ますと昨夜出ていった母が目の前にいた。戻ってきたことに安堵する間もなく、幼稚園へ行く身支度を整えられる。兄はすでに学校へ行っているようだった。
「お母さん…」
私は何かを話したくて言葉を出したが、
「…………」
それ以上何も言えなかった。





ある日、幼稚園でのお迎えの時間に母が来ないことがあった。周りの子供たちが次々と迎えに来た親と帰っていく中、私はただじっと自分の番がくるのを待っていた。
「奈々ちゃん」
呼ばれて振り向くとそこには先生が立っていて、私を手招きする。
「先生、なに?」
「今、奈々ちゃんのお母さんから電話があって、お迎えが遅くなりますって」
私には母が「もう迎えにはこない」と言っているように聞こえた。
「まだ電話つないであるからお母さんとお話しようか」
そう言われ私は職員室の受話器をとる。
「もしもし…」
『奈々?用事ができてお迎えが遅くなるから先生といい子で待っていてね』
母は淡々と話す。それが余計に私を不安にさせた。
「うん…」
不安を不安と出せずに…。
私は受話器を先生に渡すと、先生はいくつか母とやりとりをして電話を切った。
「奈々ちゃん、先生お仕事あるから教室で遊んでてくれるかな?後でおやつ持っていくから」
私はコクリと頷き、自分のクラスの教室に戻った。そこにはもうクラスの子供たちの姿はなく、しんと静まりかえっていた。
「…………」
教室を見回し、木で出来たままごとの道具を手に取り、四人分のお皿やコップなどと椅子をまるいテーブルに準備した。そしてそのひとつの椅子に座る。だけど…
「違う…」
四人分準備したのは、父の分、母の分、兄の分、私の分だった。並んだおもちゃは私に違う現実を見せる。決して丸く囲む団欒などなく、今自分がした事がいかに無意味な事か…。幼い私はただなんとなく悲しくなっていた。そして、捨てられると感じていた。

母はこの日、外が真っ暗になってから迎えにきた………。





幼稚園で発表会が開かれた。楽器を演奏することになっていたが、私は一向に上達せず当日を迎えていたので登園前にこっそりと練習をする事にした。大きな音を出すと父に怒鳴られるのがわかっていたので僅かな音だけ出した。担当はハーモニカ。うまく吸ったり吹いたりがどうしてもできない。
「できないよ…」
音をあまり出さないように細心の注意を払いながら何度も何度も練習をする。だけどやっぱりできない。目から涙がポタリポタリとつたう。
そもそもどこの音で吸うのか、吹くのかがわかっ
ていなかった。本来なら家族に相談するのだろうが、それはできなかった。できないというより許されない行為だと思っていた。
「幼稚園行くわよ」
母から呼ばれた。私は涙を袖口でゴシゴシと拭い、ハーモニカを黄色い幼稚園のカバンになおした。
発表会が始まる。父兄がたくさん集まっていた。その中に父も母もいた。
うまくできないのがバレてしまうと思ったら緊張と不安が高まる。どうしよう、どうしようといろいろ考えを巡らせる。結局いきついた結論は音を出さず真似だけしていようというものだった…。


ここから私の幼児期の記憶は空白になる。
真似だけでバレなかったかどうかはわからないが、家族に対して恐怖心や緊張と不安、完璧でなければならないといった感情に支配されていた。





小学低学年。
私は毎朝腹痛を起こすようになる。薬を飲んで登校をしていた。学校は嫌いじゃなかった。友達もいたし、勉強もついていけていた。学校にはなんの問題もなかった…。
「お母さん、薬ちょうだい。お腹が痛いの…」
「また?」
さすがの母も気になり始めた様子で、病院へ行くことになった。しかし病院で検査を受けるが異常なしと医師に言われてしまう。
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