シリアス長編創作

□悪夢の楔
2ページ/2ページ



「―――…ッッ!」



シオンは声にならない悲鳴を上げて飛び起きた。

…また、この夢。

この数日、眠りにつくと幾度となく襲ってくる夢。

もはやあれが夢なのか、それとも今目覚めた自分の世界が夢なのか、分からなくなってきていた。

―最初は幸せな夢。

彼女が自分の名前を呼んで駆けて来る。嬉しそうに楽しそうに。

彼女が自分の名前を呼ぶ。その存在を求めるように。

会いたくて会いたくてたまらないその笑顔をしっかりと抱きしめる事ができる。

それは自分の願望。




―そして…次にやってくるのは悪夢。




自分の何よりも恐れる事が目の前に突きつけられる。


…疲れた、とシオンは思った。


止めればいいのだ。考えなければいいのだ。

忘れてしまえばいい。どうでもいい事だと思えばいい。

そう思ってしまえば楽になるのだ。

どうしてこんなに苦しむ必要がある?

バカバカしいじゃないか。



(……くそっ)



―でも、どんなに言い聞かせても自分の心はだまされてくれない。

押し込めようとすればするほどそれは反発して強くなる。

忘れろ。忘れてしまえ。考えるな。

…少しの辛抱なのだから。

いずれ彼女は何処かの国に嫁ぐだろう。

そうしたら、もう会う事はない。

会う事はないのだ。もう二度と。

そうしたら、どんなにか楽になるだろう?



「………。」



もう、会えない。

二度とその姿を見る事は無くなる。

あの瞳も、あの髪もあの笑顔も。

手が届かなくなる。

あの声が、自分を呼ぶ事も無くなる。




「……。」




ただ、それだけ。

なんて事は無い。彼女と出会う前の生活が戻ってくるだけの事だ。

本当にただそれだけなのだ。



なのに…何故こんなにも辛いと思うのだろう…?

自分の思考が鬱陶しかった。

シオンはひどく乱暴な仕種で起きだすと、冷たい水で顔を洗った。

流れる水に、一息をつく。

でも突然に脳裏によぎるのはあの暖かな桜色。



―止せ!



見えない何かにシオンは絶叫を叩きつける。

止めてほしかった。これ以上、自分を惑わすのは。



―ナゼ、イケナイ?



不意に小さな声がそう囁く。

どうしていけないのだと、何がいけないのだと問う。

ただ、側に居たいだけなのに。

あの紫紺の瞳が輝くのを見ていたいだけなのに。あの笑い声を聞いていたいだけなのに。

…何が、いけない?



「…決まってるじゃねぇか。」



…低い呟きがシオンの口から漏れる。

彼が顔を上げると近くの鏡に映るものがあった。

蒼い髪。琥珀色の瞳に昏い色を湛えた男が一人。



―ガシャンッ!



鏡が砕け散る。シオンは鏡を叩き割った右手をそのままにどさりと床に座り込む。

…こんな風に全て消してしまいたかった。



―何よりも邪魔なのは、自分自身。



彼女が自分の望むままにいるには己が近づいてはならないのだ。

何の疑いも持たず見あげてくる瞳。

大事にされた白い存在。

そのままでいて欲しい。だからこそ…。

右手からにじみ出た血が床に滴り落ちる。

少しずつ少しずつ赤が広がる。

…流れるそれを、シオンは先ほどとはうって変わってひどく落ち着いた気持ちで眺めていた。

その色に、ああ、やっぱりと思う気持ちがあった。そうして自分の内から流れでるものに小さな願いを託してみる。

このまま全部流れ出してしまえばいいのにと。

自分の罪も彼女への想いも。


…そうしたら、楽になれるかもしれない。


楽になりたかった。もう何も考えたくなかった。

全て消えてしまえばいいのに。

もう一度。全て真っ白に。

…何もかも…。



前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ