家が隣同士だったから、お互いの兄弟も含めて小さい頃から一緒に遊んでいた。
何かと家に居たがる傾向のあったキールを芽衣はよく外に引っ張り出したものだ。
飛び切りに元気の良い彼女はいつも先頭を切って走り回っていた。
そんな彼女に振り回されるのは決して楽な事ではなかったけれど、本当はそれほど嫌なものではなかった。
何かというと離れている自分のことを呼んで手を取ってはずるずると引っ張っていくのだ。
こちらが例え顔を顰めてもまったくお構いなし。
…でも、実は嫌ではなかった。
自分を呼ぶ声と自分の手を掴む彼女の手は、何だか照れくさいものがあったけれど嫌ではなかった。
キールが、彼の母親の方針で私立の小学校に行く事になった後は何となく疎遠になってしまったけれど、中学に上がってみて驚いた。
…芽衣が、居た。
入学式の人盛りの中に。
彼が驚いていると芽衣は昔と変わらない笑顔で彼に手を振った。
『やっほー! キール!!』
驚愕のあまりとっさに言葉が出てこなかった。
側にやってきた彼女に何故ここに居るのかと問うと芽衣はあっさり言った。
『決まってるじゃん。新入生。ちゃーんと受験したんだからねー♪』
楽しげに言う彼女とは裏腹にキールの方はなかなか事の展開についていけなかった。
中学受験? 芽衣が? あの芽衣が?
…それはまたいったいどういう風の吹き回しなんだ?
感じた疑問を素直に相手にぶつけると、彼女はにんまりと笑ってみせた。
『ふっふっふー。知りたい? それはねー…。』
芽衣はそこで大きく胸を反らし、得意げに言い放った。
『今受験しとけば、一番遊び盛りの中3の時、受験しなくてすむじゃない!!』
それに例え全部落ちても『公立』っていう保険もあることだしと芽衣は笑いながら言った。
…思わず、脱力した。
芽衣らしいといえばあまりに彼女らしい理由にキールは更に何も言えなくなったものだ。
『そんじゃ、またよろしくね!』
その時、そう言う芽衣はキールの覚えている彼女のままで、何となく嬉しかった事を今でも思い出せる。
…ずっとそんな感じだった。
だから、今日裏庭で偶然に目撃してしまった事はキールにとってかなりの衝撃だった。
あれはどう考えても、『告白』というやつではないだろうか。
「…………。」
あの芽衣を好きだという奴がいる。
それも同じ学校の…。
結局、誰だかまでは分からなかったのだが。
「………。」
キールは髪をかきあげた。
あれからずっとあの事ばかり考えている自分がいる。
机に広げた参考書はさっきから一問も解いていない。
仕方なく本を閉じるとキールは暗くなった窓の外を見た。そして立ち上がりベランダへと出る。
秋の冷たい空気が気持ちよかった。
ベランダの手すりに寄りかかり、右手の方を見る。
そこには芽衣の部屋のベランダが在って、部屋の中は真っ暗だった。帰って来てはいるはずだから、今は夕飯でも食べているのだろう。
と、その時、部屋に灯りが点いた。閉められたカーテンの隙間から光がこぼれる。
「………。」
キールは、その様子をじっと見ていた。
『…よかったらさ、今度の日曜日…。』
あの時耳に入ったフレーズが蘇る。
――今度の日曜日。
芽衣はどうするのだろう。
行くのだろうか。…それとも、断ったのだろうか。
「………別に、俺に関係無いか…。」
小さく呟いて、キールは部屋の中に入ろうとした。
すると音がして、芽衣がベランダに出てきた。
「…あれっ? キールじゃん。」
かけられた声に一瞬ぎくりとしたキールは殊の外ゆっくりと芽衣の方に向き直った。
…何だかバツが悪い。
さっきまで思考を占めていた相手、しかもあんな場面を目撃してしまった後だ。
「めっずらしー。どうしたの、こんな時間に外に出てくるなんて。」
「…お前こそ。」
「え? あたし? あたしはいつもだよ。お月様がきれーな時はいつもね。」
そう言って、夜空に浮かぶ月を見上げる。
キールもそれにつられて上を仰ぎ見た。
「綺麗でしょ。」
「…ああ。」
…本当だ。空には見事な月が浮かんでいた。
そんなこと、全然気が付いていなかった。
「………。」
キールは再び空から芽衣の方へと視線を戻す。
嬉しそうに月に向かって両手を差し伸べる彼女は、昔とどこも変わっているようには見えないのに。
それでも、今日の放課後のような事が起こっているのだ。
彼女の事をそういう対象として見る相手がいるのだ。
そんな事があったのにも関わらず、その態度はちっともいつもと変わらない。
…何だか、おかしな感じだった。
自分だけが置いてきぼりを食ったような、そんな、変な感じだ。
「……メイ。」
「え? 何?」
大きな茶水晶のような瞳がキールの方を見た。
そこで、思わず言葉に詰まるキール。
意味も無く、呼びかけてしまっただけとはまさか言える筈も無い。
「…その…。」
「なぁによ? 聞こえないわよ。」
訝しげに自分を見てくる芽衣にキールは内心で焦ってしまった。
「…いや、今度の、日曜日なんだけどな…。」
「え? 日曜がどうかした?」
身を乗り出して聞き返してくる芽衣。
キールは言ってから、しまったと思った。
(何で口を滑らしているんだ、俺は)
自分で話題を振ってしまった手前、益々引っ込みがつかなくなってしまった。
…どうするか。
「その、今度の日曜日、図書館に行かないか?」
「え〜? 何であたしが図書館なんて行かなきゃならないのよ!?」
最もな芽衣の疑問に、キールはいつもの彼の落ち着いた声で返した。
「政経のレポートやりに行くんだ。どうせお前は手なんて付けても無いんだろうがな。」
「う…っ! 痛いところをッ! …でも、まだ提出まで間があるじゃない!!」
「…その前にテスト期間があるの分かってるか?」
「…あ。」
目を点にして、冷や汗を流す芽衣はやっぱりいつもの芽衣で。キールは彼女に見えないように小さく笑った。
「テスト明けに遊びたいなら今のうちにやっとくんだな。」
「う〜ん…。そーねー。キール、手伝ってくれんの?」
「…少しなら、な。」
彼も芽衣と話しているうちにいつの間にかいつもの調子を取り戻していく。
しかし、そこで芽衣は片手を上げて、ちょっと頭を下げてみせた。
「…でも、今度の日曜日はパス。」
パンッと両手を合わせてキールの方を拝むようにした。
「ごめんね。また今度誘って。」
「…何か、用があるのか?」
「うん。」
頷く芽衣に、キールは眼鏡の奥の瞳を僅かに曇らせる。
(…そうか。やっぱり行くんだな)
彼女は誘われた映画の方に行くのだろう。…と、言う事はOKの返事を返したということか。
「ディアーナのお兄ちゃんとこの学園祭に行くんだー。へへ、いいでしょ。」
俯いたキールの耳にそんな楽しげな芽衣の声が届いた。
「…学園祭?」
「うん。そう。大学のね。」
思わず聞き返したキールに芽衣は再び頷く。
「めったにないじゃない? こんなの。だからレポートは後まわし。」
ふふふと笑う芽衣の顔を見てキールは何だか力が抜けた。
「今度、手伝ってね。」
「…やっぱり一人でやれ。」
「え〜!? 何よー、先に手伝ってくれるって言ったのキールじゃない!!」
「…遊びに行くやつのなんか手伝えるか。」
「ひっどー! キール、あんた心が狭いわよ!!」
「狭くて結構だ。」
怒る芽衣に、そっけないキール。
そんな、いつもの二人のいつもの会話は、夜が更けきるまで続いたのだった。