短編創作
□アヴェ・マリア
1ページ/3ページ
―それはとても天気のいい休日のこと―
「は〜い〜。それはもっと向こうに置いてくださいね〜!」
クライン王都の、ある街の一角に、間延びしながらも妙に張り切った声が響いていた。
「アイシュ様、こちらは?」
「あ〜、それはぁ〜。…ええと、どこがいいですかねぇ、キール?」
「…そこでいい。」
当事者以上に嬉々として動き回る兄に、キールは軽く溜め息をついた。
―緋色の魔導士こと、キール=セリアンは本日を持って正式に院を出る事と相成った。
彼は街でラボを構える事を望み、今日はその引越し作業におおわらわと言ったところ。
休日の事なので彼の知人達も応援に駆けつけ、実に賑やかな中で作業は進んでいた。
「あ〜。食器棚は何処に置きましょうかね〜。やっぱり使いやすさを考えると〜…。」
「兄貴…適当でいいから。」
あんまり生活というものにこだわらない性質の彼は兄の張り切り様がどうにもたまらないらしい。
こんなものはできるだけ手っ取り早く片付けてさっさと研究に入りたい、というのが本音だろう。
そんな思いからうんざりしたように言うとアイシュはふるふると首を振った。
「だめですよ〜。キールはそれでいいかもしれませんけど、ここにはメイも住むんですからね〜。」
至極真面目な顔で殊更にゆっくりと弟を諭すように言う。
「ああ、そうそう。家具の配置はメイの意見も訊かないとダメですよね〜、キール?」
意味ありげに『にっこり』と笑われて、キールは思わず言葉に詰まった。
そう。キールはここに一人で住むわけではなかった。
もう一人。…同居人として、異世界からやってきた少女芽衣の存在があった。
しかも、今までのように単なる『保護者・被保護者』の関係ではなく―…。
彼女は元の世界に帰るのをやめ、キールの傍に居る事を選んだ。…選んでくれたのだ。
つい、この間の事である。
後にキールが兄に渋々ながらその事を報告したところ。
『よかったですねぇ〜!!』
と、感涙に咽ばれたものだ。
「…ったく…。…まいったな。」
言葉ではいろいろ言いながらも。…いつの間にか口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。
くすぐったいのだけれど。決して悪くは無いその感情。
…それはあの少女が彼に教えてくれた事の一つだった。