刀剣夢
□狂い桜
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月明かりに照らされたそれは、冬に花開く狂い桜。白く儚い雪と共に、哀しげに乱れ咲く。神々しさと狂気を混ぜ合わせた狂い桜は、美しくも恐ろしい。
きっとこれは、一夜の夢。
一瞬という時の中で許された奇跡。
だからこそ、この上なく尊いのだ。
「狂い桜か」
長谷部はポツリと呟く。何かを思い出しているようだった。
「珍しいね」
傍らにいた石切丸は優しげに答え、目を細めた。美々しい狂い桜に魅入られ、引き寄せられる。声色こそ穏やかで静かだが、どこか夢を見ているような口振りだった。
「こういうのを、風流というんだろうか」
「さあ。俺にその手の趣味はないからな。歌仙がこの本丸にいたら、そう言うのではないか?」
「はは、そうかもしれないね」
石切丸は笑みを浮かべ、ゆっくりと頷いた。何かを懐かしむような顔をして、狂い桜を見つめる。その何かについて、長谷部は詳しく知らない。確か、前の主とは子供をもうけたとか。だがそれ以上は分からない。当の本人が話したがらないのだ。
だからこうもあっさりと話を持ち出してきたのは、意外だった。
「桜の花がとても好きな子だったんだ」
まるで寝言のように、石切丸は言葉を口にする。
「春になると、よく花見をしたものだ。楽しそうに走り回って……いつも転んでいたねぇ」
「……お転婆娘だったのか」
「うん。私は走るのが遅いから、いつも追い付かなくて――」
石切丸は話を途中で止め、目を猫のように大きく見開いた。途方もなく空虚な闇が、顔を覗かせる。そこから見えるのは、言葉などでは語り尽くせない絶望的な何かだった。
かつて長谷部は、この目を見た事があった。崇拝すべき亡き主の顔が、脳裏を横切る。彼は思わず唇を噛み締めた。
嘲笑うように、狂い桜は奇妙な光を解き放った。それが何を意味するか、長谷部には分からなかった。亡き主ならば、この狂い桜を疎ましく思うに違いない。斬ってしまえと、長谷部に命じた事だろう。
「―――いや、突然申し訳ない。驚かせてしまったね」
石切丸はそう言って、天女のように慈悲深い笑みを浮かべた。ついさっきまで見えた闇は、何事もなかったように消え去っている。
「いや、気にしないでくれ」
長谷部は首を横に振ってみせた。
「石切丸、これはきっと夢の一つなんだ」
「夢……これは夢なのかい?」
「ああ。俺達はきっと、あの狂い桜が見せる夢の中にいるんだ。今ある全てはきっと、そうなのだ」
「良い夢だね。いや、悲しいというべきかな」
彼らはそれきり黙り、幻想的な色香を醸し出す狂い桜を眺める。やはり、どうしようもないほどに、美しい。
夜風と共に、狂い桜が舞い踊る。甘く透明な香りが、夜の世界に彩りを加える。そうして彼らは夢の世界へ誘われ、沈んでいく。
これもまた夢なのだと、彼らは信じている。
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