刀剣夢

□愛を込めて斬り捨てましょう
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決行は真夜中。本丸に特別に用意された部屋で執事は眠りについている。正直、夜である必要は何処にもないのだが、主が起きている時間帯にそのような事はしたくなかった。必要最低限の支度をし、音をたてずに執事の部屋に向かう。考えられるのは執事が与えている薬。最も効率的で、簡単に実行出来る。身体的に不自由な主なら衰弱死として片付けられても誰も不思議には思わないだろう。ああ、本当に忌まわしい執事だ。きっと自分の部屋に隠しているに違いない。
 
主はこの執事を心から信頼している。執事への態度は人間的な暖かみが僅かながら見受けられていたほどに。決定的な何かを主は執事に求めているのだ。本当なら彼女は異国の皇女として、幸せに暮らしていたはずなのだから。国が亡び、この日ノ本に落ち延び、帰る場所を失った。そして残された最後の欠片があの執事なのだ。ああ、そうだ。だからこそ、だからこそ主は。
 
「何をしている?」
 
氷の刃が俺の背中に突き刺さる。執事の声ではない。俺が仕えるべきただ一人の主。この世に二人とはいない俺だけの主。声を掛けられたのは何日ぶりだろう。どこまでも懐かしく思う。息を飲み込みながら、ゆっくりと振り向く。
 
「何をしているんだ、お前」
 
月明かりに照らされた主の姿がそこにあった。美しい少女の面影はあるものの、見るも無惨に痩せ細っている。長い苦しみを受け続けた人間の深い陰りが全てを物語っている。杖を使って立っているのが精一杯だと言わんばかりの主が何故此処にいるのか言うまでもない。だから、そういう事なのだ。
 
「お気づきになられていたのですね」
 
本当に人間という奴は分からない。本当に、本当に分からない。けれど、振り払えない。その愚かしさをいとおしく思う自分さえいる。
 
「何故そのような事をなさるのです」
 
「刀に分かるはずもない」
 
「分かりません、俺は所詮刀ですからね。だから、知りたいのです」
 
「生意気な刀め」
 
掠れた声で、主はそう俺に答えた。まるで何かを拒絶するようだ。主はとても苦しげな表情を浮かべている。声を荒らげないのは、それだけの力が残っていないのだろう。しかし主は声を絞り出す。これは主の静かな叫びなのだ。
 
「あれは私の育ての親だ。最後まで私の傍を離れずにいた。例え恨まれていても、恩を仇で返す事など出来るものか」
 
「このまま死んでも良いと仰られているのですか」
 
「そうだ……もはや私には何も残されてはいない。あれだけが私の最後の大切な欠片……刀などにこの気持ちが分かってたまるものか……たまるものか……」
 
言葉通りだった。主には何も残されてはいない。ああ、と俺は理解する。主はこれからの全てを諦めているのだ。そしてその悲しみを何処に向けたら良いか分からないのだ。俺への仕打ちは自然なのだ。俺を得た代償で様々な事を奪われたのだから。主の研ぎ澄まされた美しさとは絶望をしているがゆえ。最後の欠片さえ主の手元から消えてしまった。ならばいっそ、幸せな過去と共に死んでしまいたい。
 
「分かりますよ」
 
俺は無意識に主にそう答えた。分かるとも。俺はその苦しみの中を生きていたのだから。いっそ共に死ねるならどんなに幸せか。しかしそうはならなかった。だからこそ、次こそは絶対に過ちを繰り返さないと誓ったのだ。ここでまた守るべき主を失う訳にはいかない。
 
「いっそ死ねたならどんなに幸せか、と何度も思いました。惨めに過去にすがり付いて生きるしかない事が屈辱でしかありませんでした。振り払っても振り払っても、まるで影のように傍を離れません。ある時俺は気づきました。俺は刀なのだから斬ってしまえば良いのだと。ね、簡単でしょう?」
 
「…………」 

主は答えなかった。ただ、俺を見つめている。雪の花のように儚げな少女の姿が眩しくてたまらない。主の瞳の中には俺しかいない。今、この瞬間だけ主の世界には俺しかいない。
 
「主は俺に命じて下されば良いのです、ただ斬れと。これからの未来が主を苦しめるというなら、俺が斬ります。今までの過去が主を苦しめるなら斬ります。全て、何もかも斬って差し上げます」
 
「…………それでは、何も残らないではないか」

「俺がいます。いつでも貴女の傍らに」
 
暫くの無音。主は迷っているようだった。主は分かっているのだ。執事は最初から主を愛してはいなかった。事情は知らないが、執事には深い恨みがあり、それを果たすために主の傍にいたにすぎない。
 
それでも捨てきれない。捨てなければ苦しみながら死ぬ。捨てたとしても苦しみの中を生きなければならない。でもね、俺は傍にいますよ。片時も離れません。絶対に、何があっても。
 
「主、主命を」
 
「誓えるのか、お前。そんな馬鹿馬鹿しい事を」

「主命とあらば何でもやります、と初めてお会いした際言ったではありませんか、お忘れですか?」
 
俺は主に笑ってみせた。なるべく邪気を作らず、親しみやすいように。だから、どうかもう悲しまないで。俺が全て斬って差し上げますから。俺は貴女の刀なのですから。貴女が満足されるまで、ずっと、いつまでも斬って差し上げますよ。貴女が俺を必要としてくれれば良い。だから、どうか、主。
 
「そうか……」
 
痛みや苦しみでやつれていたいるものの、主は実に吹っ切れた美しい顔をしている。生きようとする者の美しさに変化したのだ。主の世界がほんの少しだけ変わったのだと信じたい。
 
「あいつは……審神者である私を手に掛けようとした重罪人だ。あいつを斬れ、長谷部」
 
「……御意」
 
俺は主への忠義を誓う。やっとこの時が来た。ああ、本当に幸せだ。やっと俺の名前を呼んでくれましたね、主。嬉しいです、これ以上ないほどに。待っていて下さい。必ずや貴女が満足される戦果を上げてきますから。主命とあらば、何でもやります。例え貴女の育ての親だとしてもね。
 
 
だって俺は貴女の刀なのですから。 

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