series2

□斜陽
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名無しとシェンはもう長い付き合いで。
と言っても特別何かがある訳ではなく、何の間違いも起こさず、ずっとただの友達だ。
シェンは一人暮らしの名無しの家に入り浸っている事が多く、名無しはそんな彼の世話を焼く。
お互い気を許していて、何もかも晒し出せる仲ではあるのだが必要以上に近寄らず、心地良い距離を保っている。
そんな関係は、やはりいつか終わりが来るのであった。


「何だよこれ」

シェンはテーブルの上に雑に置かれた、大きな封筒を手に取った。
持ってみると中々重くて、中を覗くと仰々しくも薄いアルバムのようなものが入っている。
それを引っ張り出して開くと、まだ若い一人の男性が写真に収まっているではないか。

「.....おい、名無し」
「あ、それ?」

二人分の夕飯をトレイに乗せた名無しがキッチンから現れ、テーブルに着く。

「お見合い写真だよ」
「....は?」

詰まりも戸惑いもなくサラッと言ってしまう名無しに、シェンは顔をしかめた。

「来週の日曜にお見合いするの。私」

封筒を片隅に寄せて、お茶が入ったグラスと箸を並べる。
透明のグラスにいびつに映る自分のしかめっ面を見ながら、シェンは言葉が出て来ない。

「って言っても、実家の近所の世話焼きおばさんが無理やり持ってきた縁談なんだけどね」
「...じゃあ、行かねえのか?」
「ううん。私もいい年だし、行ってみるよ。結構イケメンでしょ?凛々しくて」

なぜか、まだ開いている写真にもう一度目を落とす気分にはなれなくて、そんなにいい顔だったっけと、先程ちらりとしか見ていない姿をぼんやりと思い出す。

「それに、いい所に勤めてるんだって。上手く行けば玉の輿かも」

声の感じからして、名無しは笑いながら言っている。
それに我慢ならなくなって、ぶっきらぼうにお見合い写真を封筒に突っ込んで、名無しと目も合わせずに立ち上がった。

「帰るわ」
「え?帰るって、シェンどこにも」
「帰る。じゃな」

帰る所なんてどこにもないのに、そう言って名無しに背を向け、片手を上げて玄関に向かう。
名無しは後を追って来るが、振り向きもせずに出てやった。

「シェン!」

ドアを開けて呼んでいるのだろう。
少しだけ後ろ髪を引かれたが、どうでもよかった。
大股で歩いて、できるだけ早く名無しの視界から消えるように暗い路地へと入って行く。

なんだよ。なんだよ。なんだよ。

そればかりが頭の中をぐるぐると巡る。

なんだよ。あいつ。

今までに感じたことの無い正体不明の苛つきが最高潮に達して、古ぼけたブロック塀を一発、全力で殴った。
コンクリートだと言うのに大きくへこんで、欠片がボロボロと崩れてくる。
それでも気持ちは収まらなくて、シェンは繁華街へと繰り出した。

酒を買ってその場で一気に煽った。
豪快に飲んだせいで三割くらい口から零れ、顎を伝う。
左手で拭って、もう一本購入した。
ぶらぶらと歩きながら飲み、無くなったらまた買うを繰り返して、気付けばもうどのくらい飲んだかわからないけれど、全くいい気持ちにならない。
思い浮かぶのは名無しの顔と言葉と、写真の中で微笑む知らない男で、酒は嫌なものを忘れさせてはくれなかった。

シェンの生活は、その日から大変荒んだものになった。
寝泊まりする場所がないので女を買って繋ぐ。街に出れば昼夜問わず喧嘩に明け暮れた。
それでも快感だったのはどちらも一瞬だけで、名無しの事を考えずにはいられない。
どこかで名無しに似たような背格好の女性を見ると、名無しが自分を探しに来てくれたのかと期待してしまった程だ。

なんだよ。なんだよ。あいつは。

あれから一週間も近くなってくる内に、シェンは苛つきの正体と自分の気持ちが分かり始めていた。

なんで、見合いなんか。

長い時間を共に過ごしてきたはずだったのに、見合いをするなんて些細な事も教えてくれなかった名無し。

なんでだよ。あんな男より、俺の方が。

ずっと名無しの事を知っている。なのにあの男を選んで、手の届かない所まで行ってしまうのだろうか。

でも、俺なんか。

いい会社に勤めていると言っていた。
まともな職に就いたこともないチンピラまがいの自分が、到底太刀打ちできる相手ではない。

俺じゃ、駄目なんだよな。

あの男と結婚する事が名無しにとって一番の幸せだろう。そんなの、よく考えなくったってシェンにでもわかった。
それに名無しとの居心地の良い関係に甘え、壊れる事を恐れて踏み込めなかったのは自分だ。
急に横から掻っ攫われたって文句の言いようがない。
お見合いをするな、なんてとてもじゃないけれど。

言えないよな。

いつの間にか自嘲していて、自分らしくないと思った。
だけどいつまでもナヨナヨしてしまいそうで、覚悟を決めてぎゅっと拳を握る。
そして思いっきり二発、左右の頬を殴った。

「よし」

自分と言えど容赦無くかましたので、口の端しから垂れる血をぐいっと拭って、シェンは走り出した。


「おい!名無し!」

名無しの家のドアを乱暴に叩いて呼ぶが、一向に出てくる気配がない。
慌ててポケットをまさぐり、随分昔に貰っていた、海産物のガチャガチャで名無しが出したカニのキーホルダーが付いた合鍵を取り出す。
鍵穴に差し込んで捻るとすんなり開いてシェンを迎え入れる。
駆け込んで名前を呼びながら一つ一つ部屋を確認するが名無しの姿は何処にもなくて、ふと、カレンダーが目に入り、シェンは今日がお見合いの日だと気付く。
今度はポケットから携帯を取って、名無しに電話をかけた。
何コールも呼んで、やっと名無しの声が聞こえた。

「もしもし?シェン?」
「名無し!」
「どうしたの?元気?ちゃんとご飯食べてる?」

あんなに酷く出て行ったのに、穏やかな口調で自分の心配をする彼女を、やはり誰にも渡したくないと思うのだ。

「バカか、お前は」
「えー?」

久しぶりに聞いたくすくすと笑う声に安堵を覚える。

「今、どこにいんだよ」
「駅前のホテル。今からお見合いだから」
「わかった」

それだけ言って通話を切り、全速力で向かう。嫉妬も妬みも拗ねも、全て捨ててしまって。
息を切らして着いた、この街で一番大きなホテルに駆け込む。
途中で何人かの従業員に止められたが、構わずロビーラウンジで名無しを探した。

「名無し!」

見合いが始まる前にメイクを直していた名無しは、化粧室を出たら、つい数分前に電話をしたシェンが自分を呼んでいるのでびっくりした。

「シェン!?」
「名無し!」
「こんな所で何してるの?それに、その顔」

走り寄り、手を伸ばしてシェンの頬に触れた。
両頬とも痛そうに腫れ上がっている。

「また喧嘩したんでしょ?大丈夫?」

触れたと同時にシェンが顔を歪めたので、名無しは鞄からハンカチを取り出そうとした。
するとシェンはぎこちなく、しかし優しく名無しを抱きしめる。
長い時間を共にして初めての瞬間だった。

「見合い、すんなよ」
「え?」
「金なんてねぇし、お前が知ってる通りのしょうもない男だけどよ、俺なりに絶対幸せにするから」
「シェン」
「どこにも行くなよ。誰にも渡したくない。好きだ」

力強く抱きしめて、名無しの肩に顔を埋める。
彼女の言葉を待っているとぽんぽんと頭を軽く叩かれ、ゆっくりと顔を上げた。

「ずっと待ってた」

もう一度頬に軽く手を添えて背伸びをすると、彼の唇に自らのを合わせる。

「シェン、大好き」

離れたところを引き寄せ、シェンは不器用に二度目のキスをした。
目を閉じると、周りからは拍手が巻き起こった。

一つの関係に区切りをつけ、また新たな関係を築いてゆく。
思い返して見れば出会った時からお互いに、どちらかが「好きだ」と言うのを待っていたのかも知れない。

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