series
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今日も上海をうろつく。
特に何もする事は無いが、日課のようになっている。
誰か喧嘩相手になってくれる奴でもいないかなと思っていると、細い路地に恰好の相手を見つけた。
様子をうかがうと、ひ弱そうな少年が二人のヤクザ風の男達に囲まれている。
あらかた金でもたかられているのだろう。
ナヨナヨしている奴は嫌いだが、弱い者いじめと言うか、寄ってたかって一人を殴るのは見ていて気持ち良くはない。
「おい、そこまでにしとけ」
「ああ!?何だよ兄ちゃん」
「止めとけって言ってんだよ!」
男の腹に上段蹴りを入れると、うめき声を上げて倒れた。
もう一人の男が拳を俺に向かって突き出したが、なんとも遅い。
それをゆっくりとした動作で避け、顔を一発殴れば昏倒した。
「もう終わりか?」
意識を失い横たわっている二人を見て、壁際で震えている顔面蒼白な少年に目を向けた。
「さっさと帰んな。またカツアゲされても知らねえからな」
「あ、は、はい、すみません。あの、有難う御座い、ました」
仕切りに頭を下げながら走り去る姿を見ていると、背後で人が動く気配がした。
振り向くと同時に、倒した男が起き上がって狙いを定め、ナイフを投げた瞬間だった。
まさかそんなことを想像してもいないので、咄嗟に避けたが避けきれず、ナイフは左腕をかすめる。
ひるむ事無く走り、足を払って浮かせた所を追撃し、文字通りぼっこぼこにした。
不意打ちと言えども傷付けられた事に腹が立ったからだ。
<lesson2:笑顔で>
腕を見ると、少量だけ血が流れている。
痛みもないし舐めときゃ治るだろうと確信して、路地を出た。
相も変わらず上海は人が多いが、行き交う人々は皆、俺を避けて通るから周りには人が居ない。
少し痛む傷口を気にしつつ歩き出すと、前方に俺を見つめている女が。
良く見知った人物だと気付くと、体温が一気に上昇するのを感じた。
不味い、と回れ右をしようとすれば女がこちらに走って来て、俺のシャツを掴んだ。
「血が出てる!」
「……っ、」
ばっちりと目が合っている。見つめ合っている。店では目なんて見た事すら無いのに。
いつもちらりと盗み見ているだけなのに、今はそうじゃない。
「膿んじゃいますよ!」
接客している時の笑顔とは正反対で、眉間に皺を寄せてそう叫んだ。
有無を言わさずに、道の横にあるビルの脇に連れて行かれた。
その場にしゃがみ込んで自分の鞄から救急セットとポケットティッシュを出し、その中から消毒液と絆創膏を取った。
液をティッシュに染み込ませ、俺の切り傷に当てる。
染みて痛かったのだが弱音なんて吐けなかった。
最後に絆創膏を貼って、彼女は顔を上げて微笑む。
「はい、出来上がり」
おかしな事に、その笑顔が余りにも眩しくて気の利いた礼なんて出来なかった。
呆然としている俺の顔を覗き込み、心配そうな表情。
「頭とか打ちました?病院行きますか!?」
「…い、いや。平気だ」
「本当に?」
「……ああ」
肯定すると、彼女は満足そうに頷いて出した物を鞄にしまっていく。
全部入れてチャックを閉めると、立ち上がって俺を見た。
「シェンさん、あんまり喧嘩しちゃ駄目ですよ」
その一言で時間が止まったような気がした。体が痺れて、ぞくりと震える。気持ち悪くも嫌でもない、寧ろ心地好い感じだった。
何で名前を知っているんだ、と言いたげな俺の顔を察したのか『有名ですからね』と、彼女は付け足した。
「上海で知らない人は居ないと思いますよ。それに、うちの常連さんですし」
「…知ってたのか」
「当然ですよ。私、今からバイトなんですけど、今日はもう来ましたか?」
「いや、まだだけど」
「じゃあ行きましょう!」
サービスしますよ、と俺の腕を引っ張り、前を歩き始める。
掴んでいる白くて細い彼女の手を見ていると、静まっていた緊張がぶり返して来た。
落ち着け、何を焦っているんだ。
女に腕を握られているだけではないか。
よく行く店の店員だぞ。
そう思う心の奥底で、関係が少し進展したと思っている俺がいる事にも気付いてる。
正直、こんな事は初めてで、どうして良いのか判らない。
俺は馬鹿だとつくづく思う。
悶々と考えながら黙って引きずられていると、ずっと前を歩いていた彼女が振り向いて笑った。
「案外大人しいんですね」
「………え?」
「何も文句言わないから。あ、そう言えば自己紹介!私、名字無し名無しです」
名無し。
さっき自分の名前を呼ばれた時のように、甘い感覚が広がる。
もう、名札で見た名字だけしか知らないなんて事は無くなったんだ。
名無しと言う名前だったんだと、忘れないように頭に刻み込む。
絶対に忘れない。
自然と笑みが漏れたが、ニヤつかないように手を口元で隠した。