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□【3】落とし物を拾ってくれた人を見上げたら、王子様のような人だった
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名無しは普段から人に優しくする事を心掛けていた。
情けは人の為ならず。情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にしておいた方が良いのだ。
しかし世の中、そんなに甘くは無かった。
人々の心はどうして冷たくなってしまったのだろう。
名無しは人に優しくすれど、優しくされたことが余り無かった。
その上、初めて会った友達の友達に「何だか判らないけど、あなた可哀想な子ね」と言われたり、仕事の取引先の人に「君、貧乏くじ引くタイプでしょ?」と言われたりと散々なものだった。
「あ…雨だ」
仕事帰り、駅から数メートル離れたコンビニから出ると、いつの間にか雨が降っていた。
しかし名無しは傘を持って来ていたので、コンビニ入り口前の傘立てから自分の物を探した。が、見付からない。
「あれ?何で?」
何の変哲もない、黒地に白の水玉模様の傘だが、どこにも見当たらない。
まさか、と名無しは息をのんだ。
「盗まれた…?何でよりによって私の!?」
唇を噛んで空を見上げると、雨足は強まり、土砂降りに近い。
コンビニでビニール傘を買おうと思ったが、売り切れてしまっていた。タクシーなんぞを呼べるお金もない。
一向に止む気配がないし、朝の天気予報で、一晩中降り続けるであろうと言っていた。
家までの距離は歩いて5分。この雨の中を行かなければならないのかと思うと、それはもう盛大なため息が漏れた。
覚悟を決め、頭上を鞄でガードしながら走り出す。早くお金を貯めて車を買おうと思った。
走り出して1分も経たない内に、背後でカシャン、と何かが落ちた音がした。
名無しが振り返ると、アスファルトの地面で自分の携帯電話が雨に打たれている。
「うわっ!」
慌てて引き返すと、それより先に青年が彼女の携帯電話を拾い上げていた。
「すみません!有り難う御座います!」
手を合わせて拝んでから、名無しは親切な青年を見上げた。
その青年はまさしく、王子様のようで、名無しは萎縮する。
更に、明らかに外国人だったので二、三歩後ずさった。
「サ、サンキュー!」
ぎこちない英語と胡散臭い笑顔を放つと、青年もにっこりと笑って傘を差し出して来た。
「濡れますから」
「あ、すみません…」
「少し、濡れない場所へ移りましょう」
「あ、はい…」
中々流暢な日本語が喋れるんだなと名無しは感心すると同時に安心した。
二人は一番近いビルの軒下に入る。青年は傘を畳んでスーツのポケットからハンカチを取り出し、名無しの携帯電話を丁寧に拭いた。
「そんなことまでして頂かなくても!」
「いえ、このくらい、させて下さい」
完全に水気が拭き取られた携帯電を名無しに手渡す。
「壊れていませんか?」
「防水ですから大丈夫です。何から何までよくして頂いて…本当に有り難う御座いました」
90度の角度で深々とお辞儀をして、名無しは未だ降りしきる雨の中、走り出そうとした。
青年は彼女の腕を掴み、引き止める。
「濡れてしまいます!」
「もうずぶ濡れですから、平気ですよ」
「そう言う問題ではありません」
「心配なさらないで下さい」
「貴女が迷惑でなければ、送らせて頂けませんか?女性一人での夜道は危険です」
「迷惑だなんて!私こそ、もうあなたに迷惑は…」
「私を頼って下さい。これも何かの縁でしょうから」
何と紳士的で親切な好青年だろう。名無しは首を縦に振り「お願いします」と告げた。
一つの傘に二人で入り、身の上話をしながら歩く。
名無しがこれ以上濡れないようにと気遣い、彼女の方にさり気なく傘を寄せるので、青年の右肩は雨に濡れていた。
名無しは思う。
情けは人の為ならず。これが「巡って自分に返って来た親切」であるのなら、何と幸福な事だろうと。
「有り難う御座いました、アーデルハイドさん」
「いえ。ご一緒出来てとても楽しかったです。お風邪を召されませんよう。では、また。おやすみなさい。名無しさん」
「おやすみなさい!」
去って行くアーデルハイドの背が見えなくなるまで、見守り続けた。
名無しの手の中には、彼の名刺が大切そうに握られている。
王子様との関係が此処で途切れぬよう、まだ彼の温もりが残っているような気がする携帯電話を取り出し、記載してあるメールアドレスを入力した。