03/17の日記

11:12
プライド、というものの存在意義について
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ご無沙汰しております、重です。

更新ストップしてから、もうどれぐらい経つかちょっと自分でもわかりません。

久々にここに書きこもうと思ったのは、
とてもとても久しぶりに、誰かに何かを伝えたくなったからです。

この場所でリアルの生活の事を書くのはあまり良いことではないと自覚していますので、読み飛ばしていただいて結構です。まあ、これだけ更新していないので、誰も見ていないとは思いますが。



今、私は派遣社員で働いています。
ですが、今度の4月で異動を命じられました。
普通、派遣社員は異動をしません。
派遣は「業務」に対して請け負うものだからです。
業務の内容が大きく変われば、通常は契約の変更をしなければなりません。当然、部署がかわるということは業務も変わるため、そもそも「異動」という概念が当てはまらないのです。

正社員からドロップして、派遣社員になった時に、自分は使い捨ての道具として扱われることを覚悟していました。
今の職場は、前に正社員で働いていた会社よりもずっと環境もよく働きやすいけれど、給料は生活ギリギリだし、退職金どころか交通費もない。
元気に働ける年齢、おそらく長くても40歳くらいまでで私という道具は減価償却されきってしまうわけです。
その時、会社が私の人生に責任の一端を担ってくれるかというと、そんなことはありません。だって、派遣ですから。

私の今の契約は、ちょうど今年の6月末に切れます。
会社の方は部署を変えてもう3年、雇う心持ちでいてくれるようですが、果たしてその先は?
まして、私は股関節に先天性・進行性の病気を持っていて、今も冬はかなり体調が悪くなります。たかが一般事務職に病気もちのブスババアを雇いつづけるわけがないですよね。

ならば何か資格を取れば、とか転職すれば、とも思うのですが、家庭の事情や家事に追われ、精神の平衡を保つことだけで精いっぱいです。
貧困まっしぐら、これが私の現状であり、きっとこの日本で少なくない数の女性たちの現実です。


大好きだった「遥かなる時空の中で」シリーズのキャラソンのひとつに、こんな歌詞があります。

「人生は、死んでいくまでの道草」

なら、なんで人は生きなければならないのでしょうね。



日本はいま、格差社会と言います。
もっと言えば、奴隷社会です。
奴隷は人間ではありません。
もっと言えば、家畜です。
心優しい人は家畜に同情することはあるかもしれませんが、口に運ぶ肉を自分と同等には考えないでしょう。
或いは、農家の人が畑に住むミミズを有用だと考えても、そのうちの一匹に固執することはないでしょう。
まして、道路で引かれて死んでいたら、汚いと思うのではないでしょうか。


派遣社員や、ワーキングプアは、人間ではありません。
経産省の課長さんがおっしゃったように、モノ扱いなのです。


さらに、生まれによる格差というものは、ほとんどの人にとって埋めようがありません。そんなことない、という人は、埋められない格差を体験したことのない幸福な階級、人間に生まれた人です。


生物学的に同じ種として生まれたにも関わらず、私たちは家畜です。このことが、どれほど私たちの存在そのものを傷つけるか、ということを私は知りたくありませんでした。
自尊感情が損なわれると、人間は機能不全になります。
最初からなければ、持っていても捨てればいい。
そう思って生き続けても、それは決してなくならず、損なわれるのです。


私が思うに、国家社会や企業は労働階級から家畜として様々なものを奪う代わりに、せめて安楽な死を用意すべきだと思います。まあ、そんなもの用意するはずがないんですけどね。だって、そんなものを用意したら奴隷が居なくなって困ってしまいますから。


要は、派遣なのに異動を3か月に2回も経験させられてさらに4月から異動でその後もまた掌を返される懸念がある状況で疲弊しきって死にたいってことです。
死んだらもう異動しなくて済みますものね。
仕事が嫌だとか会社が嫌だってことではなくて、モノ扱いされ続けることにもう私自身が疲弊して耐えきれないだけでした。


もし、ここに訪れてくれたあなたがまだ自分の道を選べる場所にいるなら、どうか私と同じ道を歩まないよう祈っています。

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