ソラ*ユメ

□2012暁兄ハピバ
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 チョコレートはとても温度に敏感な食材である。
 それを専門に扱うショコラティエの手は冷たい。一流のショコラティエの作る芸術品のようなトリュフやボンボンのほとんどは、手作業で作られる。当然、手が温かければチョコレートは溶けてしまうわけで、彼等は修業を積むうちにだんだんと手の平の温度が下がって行くのだそうだ。
 また別の話では、一流の板前は寿司のしゃりを正確に同じ重さで握り、ネタを切り分けることができる。ほんの数グラムの差でも、彼等にはちゃんとわかるそうだ。
 職人というものは、その扱う素材に、技術に身体を順応させていく。
 ――自分も、そうなっているのだろうか。
 命のないものは、つめたい。
 燃え盛る火種を内包しない、或いはその火種の潰えたものは、みなとてもつめたい手をしている。
 暁は冷たい指先を温めるように首筋を押さえた。




「暁の手は冷たいね」
 デートの帰り道、手を繋いだ皐月がそう言った。もうすぐ2月も終わる頃で、そんなに寒くはなかったから、手袋はしないで来たのだ。
「ルーエンの手も冷たいよね。男の人って体温低いの?」
「うーん、個人差じゃないかなぁ。ほら、冷え症の女の人とかも手冷たいでしょ」
「……冷え症の女の人と手を繋ぐ機会がおありで」
 半眼になった皐月に、暁は慌てて言い訳した。
「やだなー、皐月ちゃん。手ぐらい友達とだって繋ぐでしょ?」
「ふーん……」
「友達でも妬ける?」
 からかい混じりに聞いたのに、彼女はちょっと拗ねてくちびるを尖らせつつも、素直に零した。
「そりゃあ、ね。だって暁兄もてるんだもん。心配くらいします」
「あはは、そんなことないよ?」
 いつものように笑いながら、暁は彼女の耳に囁く。
「皐月ちゃん以外いません」
 繋いだ手を少し強く握ると、彼女の手はますますあたたかくなった。いつもいつまでも、彼女の繋ぐ手はあたたかい。
 それはつまり、暁の手が冷たいままだということに他ならなかった。
 移らない熱を、埋まらない温度差を、彼はどうしていいかわからない。歎くべきなのか、彼女から熱を奪わないことに安堵するべきなのか。
「暁兄、今夜は泊まって行くよね?」
 すっかり日が長くなった晩冬の空は、午後五時を過ぎてもまだ明るかった。
 ようやく五分咲きほどになった、民家の庭の梅の枝。春はもう来るのに、足踏みしているような冷たい空を、暁は仰いだ。
「だーめ。明日は月曜日だよ? 寝坊したら学校遅れちゃうでしょう?」
「大丈夫だよ、目覚ましかけるから」
「駄目。泊まったら俺、君を朝まで離さないから」
 振り返って瞳を覗き込むと、皐月の頬がぱっと春の色に染まった。素直な反応に満足して、暁は繋いだ指をするりと抜く。
「待って、暁兄!」
 冷たい空気を掻いて、細い指先がブルゾンの袖を掴む。
「まだ、今日は終わってないよ?」
 今日一日、君と手を繋いで過ごしたい。
 それが暁が欲しかった、彼女がくれるバースデープレゼントだった。
「ね、暁兄」
 はにかみながら笑って差し延べる、そのてのひらを、白い花のようなそれを、今の自分はくしゃくしゃに握り潰しそうで、暁は軽く開いた右手を持ち上げたまま、機械的に笑みを浮かべた。
 
 俺の手はまた冷たいだろう。
 彼女のぬくもりに触れても解けない、万年雪のてのひらは。

「……そうだったね」
 暁は笑って、――ただ笑った。
 今日またひとつ歳をとって、なのになんにも変わりはしない。
 無謀なる恋の魔物に、魂を売りたいのはこんな時だ。
 つめたいこの手に、あたたかなその手を繋ぐ勇気が欲しい。
「おいで」
 手を触れ合う代わりに暁は、腕を開いて彼女を抱きしめた。




 目を、閉じて。







 

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