書庫2

□雲のかかりて雨の降る
1ページ/12ページ


孫市と忠勝が砲の発射土台に戻ると、すでに組み立ては終わっていた。四門の砲が、少しずつ離されて並べられている。折りよく、目標建物の脇に青白い炎がともった。半蔵の合図である。

「よし、じゃあ狙っちゃいますか」

孫市は揉み手をした。砲を撃つに当たり、通常は何人かの兵士たちでチームを編成して、照準から発射までを一手に担う。だが、今回は事が事ゆえ、全ての照準を孫市がつける。砲の向きを細かく修正しながら、

―外せねぇ…外せば全滅だ。

隊の命運は、自分が握っている…そう考えると、恐ろしいほどの重圧が一気にのしかかって来た。日が暮れたとはいえ、いまだ下がりきらない密林の気温と湿度のせいもあるだろうが、孫市の身体をべったりと汗が覆った。手からも汗がにじみ出て、作業の妨げになる。何度も何度も、服に手の平をこすりつけ、汗をぬぐった。ふと、ポケットの御守りに指が触れる。

―慶次…。

一瞬、海風が吹いた気がした。孫市の口元に笑いが浮かぶ。

―まだ死ぬわけにはいかない…この御守りをあんたに返さなきゃな?俺は適当な男だって言われるが、案外約束は守る男さ。

不思議と、手の汗は止まっていた。今は目標の炎が、手にとるように近くに感じる。

―よし。やってやる。

慎重に、そして手早く、孫市は全ての照準を合わせた。

「準備は?」

「おう、完了だ。こっちはいつでもいいぜ、大佐殿」

「よし」

忠勝が何とも言えない表情で孫市を見返し、頷いた。それから周りに伏している兵士たちをぐるり見渡す。

「皆、参るぞ」

密やかながら迫力満点の声を上げた。

「武運を…!」

兵士たちも応える。砲の前を、敵の目から遮るように林立していた木々には、倒れないギリギリの所まで斧が入れられ、縄を掛けて準備されている。そこへ、

「引き倒せ!!」

忠勝の戦場声が上がった。号令を合図に、兵士たちが一気に木々を引き倒す。間髪入れずに、砲が一斉に火を噴いた。建物が、火柱を上げたのが見えた。

「着弾確認!命中!」

双眼鏡をのぞいていた兵士が歓喜を抑えられないように叫ぶ。

「休むな!弾込め、発射準備!」

孫市が叱咤する。その間にも本部建物はメラメラと炎上した。その様子を自らも双眼鏡で確認し、

「各自、目標は任せる!弾切れになるまで撃ち込め!」

孫市が怒鳴った。兵士たちはそのまま砲撃を続行させる。半蔵が動き回っているのだろう、次々と火の手が上がった。夜空を焦がすほどの火災に、敵陣があかあかと照らされて、敵兵たちが蜂の巣を叩いたが如く大混乱しているのがわかった。こうなると反撃どころではない。勢いづいた砲撃手たちは、本部建物以外の周りの建物にもどんどん砲撃を加えていった。

「どうする、大佐殿。行くかい?」

孫市が尋ねると、

「よし、斬り込め!纖滅せよ!」

忠勝は怒号をあげ、早くも駆け出している。

「そうこなくっちゃね」

孫市は空に向かって照明弾を打ち上げさせた。離れた場所に伏せている兵士たちに、追撃の合図である。

「行くぞ!付いて参れ!」

忠勝が先頭を争うように敵陣に突進して行く姿が見えた。兵士たちも皆続いて走っている。

「本当、元気なおっさんだこと」

孫市は少し離れた場所から、スコープ越しに忠勝の背中を見て口元をゆがませた。その間も、援護射撃を怠らない。気持ちよいほど、弾は狙った場所を撃ちぬく。

「俺ってば、マジで天才だよなぁ」

自画自賛しながら手は止めない。

そして…。

しばらくの乱戦の後、空に照明弾があがった。続いて退却ラッパが響く。忠勝が引きあげの命令を下したのだ。敵は意表をつかれたせいで反撃も鈍く、ほとんどが逃げ去り、残りは掃討できたようだった。合図を聞いて、友軍兵士たちが引きあげて来る。それらの兵士たちに隊列の指示などを与えつつ、孫市は援護射撃を続けた。大体、忠勝が最後に引きあげて来るので、自然と孫市もしんがりにつく事になるのだが、今回も他聞に漏れず、忠勝が堂々たる体躯を現したのは、引きあげのラッパを聞いてからかなりの時間が経ってからだった。

「無事のご帰還で、大佐殿」

迎える孫市に、

「おう。貴様の援護のたまものよ」

戦場の風をまとった修羅の如き表情をニンマリとさせ、忠勝が満足げにうなずいた。

「まだ戻ってない奴らもいるんだが…」

「ああ、心配いらん。半蔵が敵方の港まで行って、そちらにも工作をすると言うのでな。一緒に行かせた」

「至れり尽くせりだね。おかげで敵の補給も切れるかも知れない訳だ」

隊列はすでに整っている。そこへ号令をかけ、本多隊は悠々と引きあげたのだった。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ