書庫2
□いつものとおり
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日曜日の夕方に…。
慶次と孫市は、自宅で早くも飲みはじめていた。そんな中で、慶次は時折、チラリチラリと孫市の顔を盗み見ている。視線の先の孫市は、鼻唄まじりに機嫌よく飲み、笑っていた。孫市のする話に相づちをうち、慶次も笑ってグラスを傾けているが、細めた目の奥で、またチラリと孫市をうかがった。
それにはもちろん、理由がある。
孫市は元々、女好きで適当な遊び人だ。それに細かい事には執着しない、要領のいい快楽主義の男だと周囲には思われている。
―だが…こうみえて案外、繊細な奴さ。
思った事を口にせず、無理して我慢したり、余計な意地をはったり…要領が悪いったらありゃしない…慶次はそう思っている。これは慶次が孫市と付き合って感じた事だ。
―そんな不器用な所も、可愛い所だよ。放って置けないしねぇ…。
だからこそ、慶次は孫市が何を考えているかを掴みたい。無理な我慢をさせないように、察してやりたい。
これは何も、今に始まった考えではない。慶次は孫市をパートナーに選んでから、常に孫市の事を気にかけて、出来る配慮は惜しまずにして来たつもりだ。
だが、やはり慶次とて全能ではない。
きっかけは、仕事で久しぶりに顔を合わせた左近の言葉だった。左近と孫市は、同じ豊臣で勤務する同僚だ。
『前田さん、もしや…うちの孫市とケンカでもしました…?』
打ち合わせが終わった後、左近が珍しくプライベートに言及した。
『え?いや、してないが…どうしてまた?』
『そうですか。』
どうして?と慶次が再び問うと、左近は少し困った顔をして、
『孫市には内緒にして下さいよ?』
あいつ、俺が心配してたなんて嫌がるだろうからと念を押してから口を開いた。
左近によると…。
ここ数日、孫市は会社で妙に覇気のない顔をして、ため息ばかりをつくと言う。書類を書いては宙に視線をやり、また書いては髪をグシャグシャとかきまぜて…そしてため息をつく。そんな事を繰り返しているのだとか。その様子を左近は『仕事の悩みか?でも今難しい取引はないはずだが…』と思いながら黙って見ていた。すると孫市が唐突に、
『なぁ、左近。指輪とか婚姻届とか…そういう証みたいのって必要なのかな?』
とボソリとつぶやき、すぐに、
『ごめん…忘れてくれ。』
と言って、またため息をついたのだという。
「…だから、てっきり俺は前田さんとの事で…犬も喰わないってヤツなのかと思ったんですがね。違いましたか…。」
「孫市がねぇ…」
慶次は首をひねったのだった。
ここ数日、ケンカも言い争いもない。孫市の機嫌も良かったはずだ。
―何なんだろうねぇ…?
左近に礼を言い、慶次は打ち合わせを終えたのだった。
そして…。
以来、数日は孫市の様子にいつも以上に気をつけているのだ。
―意外と、不満なんかをため込むタイプだからねぇ、孫市は…。
慶次はまた孫市をチラリと見た。思い切って『今、不満ないか?』と聞けばいいのだろうか…いや、そうすると不満があっても孫市は隠しそうだ。慶次は酒を飲み、孫市に微笑みかけながら考えた。
一方の、孫市は…。
左近に『指輪とか婚姻届とかって必要なのかな?』と聞いたのは事実だ。そのきっかけは、取引先にいる女の子との会話である。営業にいく度に、お茶なんかを出してくれたその女の子と、孫市は仲良くなり言葉を交すようになったわけだが、その子がある日、指輪をしている事に孫市が気付いた。
『お、それって彼氏からのプレゼント?』
孫市の言葉に、女の子は赤くなって恥ずかしがりながらも、うなずいた。
『そうなんです。付き合ってる彼が、本気の証にプレゼントしたいって…』
そう言って笑った女の子の指が、キラリと光った。
『へぇ〜、彼氏もやるねぇ!うらやましいよ。』
幸せ者め!なんてからかって慣れそめなど話した後、一人になってから、孫市はポツリと呟いた。
『本気の証、ねぇ…。』
孫市は考える。
そういう物って必要だろうか。男女の仲なら法律が婚姻を認めているが、男同士ではそうはいかない。
―お互いが信じ合っていれば、それが何よりの証なんだろうが…。
だが、人の心がうつろいやすいのも事実。ふらふらと脇見をしそうになる時もあるだろう。そんな時に、そういう『証』は、気持ちにブレーキをかける切札になるのだろうか。
―証なしで、俺はどこまで慶次を引きとめられるんだろう…?
現に慶次は『トラブルを回避するため』と言って指輪をしていた。それは相手を牽制するためと慶次は言ったが、実際はどうなのだろうか。牽制は、慶次自身にもされていたのではないのか。