書庫1

□戦場傷
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三成は陣中、悩んでいた。自分の感情と格闘していた。

―先鋒を誰に任せるか…。

豊臣軍は布陣を済ませ、敵方の様子を物見が探っている所だ。物見が戻り、総大将・秀吉からの下知があれば、各方面から味方が総攻撃をかける手筈になっている。その時が来るまで、もうそんなに時間は掛らないはずだ。だというのに、悩んでいる。

―当然、左近…なのであろうが…。

三成はため息をついた。


戦の先鋒ともなれば、石田の家の名誉を一手に担う。無様な戦いをすれば、大将である三成の顔に泥を塗る事になる。勇猛で武勇、智力を兼ね備えた者に任せるべきだ。また同時に、真っ先に敵陣に突入し、敵の最初の攻撃をまともに受けとめる事にもなる危険な役目だ。名誉とともに、生死をもかかった役目と言える。

―左近、か…。

その役目、左近には適任だろう。戦上手で腕も立つ。抜け目ない左近の事、他の家の名だたる武将達相手に、後れをとる事はないだろう。

―だが…行かせてよいものか…。

三成は目をつぶり、眉間を寄せた。そのまぶたの裏には、ひとつの光景が浮かんでいる。思い出したその光景に、三成は身震いをした。

―あの様な…あの様な思い、二度としたくはない…。

それは、先の戦での事だ。珍しく、左近が負傷した。鮮血にまみれ、意識こそハッキリしているものの、かなりの重傷をおって本陣に護送されて来たのだ。

―俺のせいだ…。

三成は、馬上に伏せて側近数人に伴われ退いて来た左近を目の前にして、そう思った。

―俺が、左近に先鋒を任せたから…。

三成は唇を噛んだ。

「殿…こんなザマで申し訳ありません」

馬から降りた左近が、血の気がひいて青白い顔を伏せ、三成に謝罪した。

―左近…。

その姿を見て、三成は左近にすがりつきたかった。そして、言いたかった。

『大丈夫が、左近。とにかくお前が無事に引き上げてきて安堵した…負傷は左近のせいではないから謝ったりするな…』

だが、実際に口から出た言葉は、似ても似つかないものだった。

「左近、お前の軍略とやらはどうした?鬼とも恐れられるお前が、ずいぶんと腑甲斐ないではないか?」

その言葉に、左近は小さくぴくり、と身体を震わせた。しかし、何も言わずに頭を垂れたままで、三成に更に深く礼をすると陣の奥へと消えた。

―左近…!俺は、こんな事を言いたいのではないのだ…。

その姿を見送りながら、三成は激しく後悔をした。

―なぜ、あんな言葉を…!

三成は天を仰ぎ、思う。左近はきっと、自分を冷たい主君だと思ったろうと。

―左近、こんな俺を…許してくれ…。

三成は心中で詫びたのだった。



馬のいななく声が聞こえる。陣内の軍馬の鳴き声だ。

―先鋒は…やはり左近を外そう。

目を開き、現状に戻った三成は、ようやく腹を決めた。

―あの時…負傷した左近を見て、怖かった…左近がこの世からいなくなるかもしれないと想像したら…震えがとまらなかった。

三成は顔を上げ、幕外にいる側近衆に声をかけた。

「皆を集めよ!軍議を開く!」

その声に反応し、側近衆が動きだす。ほどなく、三成が座する陣の中心に、石田家の重臣達が集まった。

「先鋒の事だが」

三成が、重臣達を見回しながら言う。

「…兵庫にしようと思う。兵庫、頼んだぞ」

三成が家老・舞兵庫を見た。その発言に、重臣達は一瞬どよめく。誰もが、当然に左近だろうと思っていたからだ。指名された当の舞兵庫も、誇らしい顔よりも先に、驚いた顔をみせた。

「…不満か、兵庫?」

どよめきを制すべく、三成が鋭く問いかける。兵庫はハッとして、

「めっそうもない。殿からのご指名、この上ない名誉な事でございます」

深く頭を下げた。

「…よし。ならば、ぬかりなく務めよ。秀吉様からのご指示も間もなくと思われる。おのおの、最後に今一度、軍の配置を確認せよ。では、解散」

三成は左近の方に視線をやる事なく、軍議を解いた。家臣達は席を立ち、それぞれの持ち場に戻って行く。

―左近は、どんな顔をしているだろう?

三成は気になった。だが、左近の方は見られず、あらぬ方向をむいたまま、左近が立つ姿すら、見ようとしなかった。

―これで、良いのだ。

三成は呼吸を整える。


秀吉からの総攻撃の指示の下、豊臣方が進軍を始めたのは、三成が軍議を解散してから、すぐの事だった。三成の手勢も、予定通りに進軍を開始した。

敵方に対し、圧倒的な兵の数を擁する豊臣軍は、あっという間に敵陣をついて蹴散らすかと思われた。だが、予想外に敵方の抵抗激しく、豊臣軍は思わぬ苦戦をしいられる事となった。

―なにゆえだ、この戦況…。

三成は陣中、苛立っていた。上がってくる戦況報告が、いちいち、はかばかしくない。
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