書庫1
□風の匂い
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日が傾き、夕方に近くなっているが、まだまだ昼間の太陽の名残で、辺りは充分に明るい。その中を、左近と三成は馬で進む。
「夏の匂いがしてきましたな。」
左近が三成に言った。佐和山主従は今、大坂城からの帰りだ。
「匂い…?」
三成が左近を見る。
「風の匂いですよ。空気は四季それぞれ、違う匂いがします。」
左近が馬上で鼻を動かしてみせた。三成はしばらく黙っていたが、
「俺には、わからん。」
と言った。その顔が、不機嫌そうに見える。
―今朝はご機嫌が良かったが…はて、お城で何かありましたかな?
左近はそう思う。
―心配事があるならば、話して欲しいものですな。
三成は、あまり心配事などを口に出さない。それが左近を信頼していないからではない、と左近は分かっている。
―ですが、水臭いですよ。
自分が力になれるのならば、左近は協力は惜しまないつもりだ。
―何と聞いたものか…下手に聞くと、ヘソを曲げますからね。
左近はチラチラと、横にいる三成を伺う。
「左近、少し休もう。」
三成が、急に馬をとめた。佐和山はもうすぐだと言うのに休憩を、と言うので、左近は驚いて、
「殿、どこかお加減が悪いのですか…?」
と、心配顔をした。普段からあまり丈夫とはいえない主の体調と、とっさに結びつけて考えて心配したのだ。三成は苦笑して、
「左近、子供じゃあるまいし…そんなに心配するなよ。体調は何でもない。ただ、あの河原で少し風に吹かれてみたいと思っただけだ。」
と言った。左近はホッとして、
「じゃあ、少し休憩しますかな?」
と、街道を外れて河原におりた。河原には、涼しい風が吹いている。主従は並んで腰をおろし、しばし休む。川面に光が反射して、きらきらと輝いた。
「気持ちいいですね。」
左近が言う。
「うん。」
三成は、あまりしゃべらない。
―これは無理にでも、心配事を聞き出すべきですかな?
左近はまた横目で三成を伺った。
「なぁ、左近…」
そんな沈黙を破ったのは、三成の方だった。
「はい?」
「左近に…聞きたい事があるのだ。」
三成がそう言う。その声が、表情と違い、割りと明るいので、左近は『おや?』と思った。
「何ですか?」
左近は優しく聞いてやる。だが、三成はなかなか話さない。三成の話の内容が分からないだけに、左近はジリジリした。
三成が、ようやく口をひらく。
「実は…今日、元親殿にお会いしたのだ。それで…」
「ほう。長宗我部殿ですか。」
左近は頭に長宗我部元親を浮かべた。
―はて、元親殿と何かありましたかな?殿は常々、自らの意志を貫いた天晴れな奴と好意を抱いていたが…。
土佐の猛将・長宗我部元親は、秀吉率いる豊臣の大軍相手に、一歩も退かずに戦った。その後、豊臣配下となり、今は大坂城に招かれて滞在中だ。
「元親殿がどうかしましたか?」
左近が続きを促すが、三成は口ごもり、なかなか話さない。手の届く範囲に生えている草をブチブチと抜いている。そして左近にチラチラと視線をやりながら言った。
「左近は、その…お、いや…どう思っている…?」
「え…元親殿ですか?そりゃ、立派な武士だと思っておりますよ?」
左近は三成の真意が分からぬまま、答えた。すると三成が、
「いや、元親殿の事ではなく…」
と、言葉に詰まり、またブチブチと草を抜いた。
左近はそれを見て、さっきは慎重に聞かなくてはと思っていたのも忘れ、語気強く、思ったままに言ってしまっていた。
「殿、心配事があるなら左近にお話し下さい…!」
そんな左近の迫力に、驚いたように三成が否定する。
「違う、違うぞ左近!心配事などではないのだ、誤解するな!」
明確に否定され、左近はますます話が分からず、困惑した。
「殿、では何なのですか…?」
左近に、三成が息をついてからようやく次第を説明し始める。
「実は…今日お城で元親殿にお会いしたのだ。で、そこに前田殿も居合わせたのだが…」
「ほう、前田利家殿ですな。」
左近が相槌をうつ。
「その、二人は大変に仲睦まじく…つまりは、あの…そういう関係らしい。」
三成が真っ赤になった。
「ほう…」
左近は思う。
―元親殿は、確かに華奢で綺麗な男でしたが…利家殿はああいうのが好みですか。
四国攻めの折りに同道した、武骨な利家を思い出す。
―あの利家殿がね…よく口説き落としましたな。どう考えても、そっち方面は器用そうじゃないが…。
そこで左近は我にかえる。
「殿、それで…?」