書庫1
□夜明け前
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三成は、夢を見ていた。
夢の中で、左近が三成を見つめている。その視線は、いつもの左近のものではない。冷たい、凍てつくような視線だ。戦場で、敵に見せるような…。
「左近、どうしたのだ。」
三成は不安になって左近に声をかける。すると左近が言った。
「殿、左近との縁はこれまでとお思い下さい。」
「なに…?」
「お暇を、頂きます。」
そう言うと、左近は席を立ち、廊下へ出て行く。
「待て、左近!」
三成は慌てて左近を追った。
「左近、待て!…どういう事だ!?」
追いついた三成が、左近の腕をつかむ。太く、締まった腕だ。いつも戦場で三成を守護する、たくましい腕だ。振り返った左近が言う。
「分からないんですか?そういう鈍い所にも、愛想がつきたんですよ。」
ゾッとするような冷たい声で言い、乱暴に三成の手を払うと、後は振り返る事なく廊下をどんどんと歩いて行く。
―左近…。
三成は左近を呼びとめようと声を出すのだが、出ない。
―左近…!
出るのは、かすれた声だけだ。
「左近…っ!」
三成は自分の声で飛び起きた。
「あ…ゆ、夢か。何という…イヤな…。」
全身を、冷や汗が流れている。心臓が早鐘のように打っていた。
―夢で良かった…。
三成は横になり、再び眠ろうと努めるが、高ぶった動悸は、なかなかおさまらない。背中の汗も気持ちが悪い。
―まさか左近が職を辞するなど…。
三成は闇を見つめて考える。
―いや、しかし…まてよ。
三成は、まばたきも忘れている。
―過ぎたる者、だからな…左近は。
世間で左近が『過ぎたる者』と言われている事を、三成は知っている。そして、それは間違いではないとも思っている。事実、左近は有能な家臣だ。
―今でも、左近を欲しいという大名は多いだろう。だが…。
武将としての器に惚れ込んだ三成が、渋る左近を半ば強引に説得して召し抱えた。今や、誰よりも信頼する大切な家臣と言っていい。いや…左近への感情は、信頼にとどまらない。
―気付かなければ良かった…。
三成はまぶたを閉じた。
―気付かなければ良かったのだ…。
三成は左近に、恋をしていた。
その感情に三成自身が気付いてから、まだ日は浅い。しかし、左近を想う気持ちは、驚くべき速さで膨張を続けた。実際は、今まで気付かずに秘めていた感情に、三成自身が気付いただけ、なのだが…。巨大に膨張した感情は、次第に三成の意思に反して暴れだす。自分の考えに逆い、関係なく動く侵略者に、三成はおびえた。
―左近…。
最近では、左近を想って、執務に手がつかない事すらある。そんな時、
―こんな事でどうする…!
三成は激しく自分を叱咤し、律しようとした。だが、それは無駄だった。もはやなすすべなく、感情に侵略しつくされたと言ってよい。三成は自分に厳しい男だ。自分は常に公平で正しく、清廉でありたいと願っている。だと言うのに、最近は他の家臣に比べて、左近を甘やかしている。陰では左近を甘やかしながら、実際に左近と顔を合わせれば、時には皮肉をいい、突っかかった口をきいたりする。
―嫌ってくれと言わんばかりだな…。
三成はため息をつく。自分の対応がマズイのは、分かっているのだ。だが、どうする事もできない。
―まったく…。
更に最近、三成は無意識のうちに左近を見つめている。仕事中でも構わず、左近を見ずにはいられない。左近のどんな表情でもいいから、自分の目に焼き付けたくて、気付けば目で追っているのだ。
―こんな事、いけない…。
三成は何度もそう思った。だが左近を想う感情は、乗り手を失った馬のように、時に奔放に駆け巡る。左近は名のある勇士だ。その名が天下に轟く、戦国の古豪だ。自分などは、その足元にも及ばないと、三成は思う。しかし左近は、ずっと年少の三成を、軽んじたりは決してしない。いつも「殿」と呼び、常に敬う態度を忘れない。世の中の人が「横柄者」という自分に仕え、人知れず苦労したり、また自分に対して不足を感じる事もあるだろう、と三成は思っている。こんな自分に、左近が愛想をつかしても、無理はないとも思う。
―だが左近、俺はお前を手放せない…。
混乱した思考が頭痛を呼びそうで、三成はそっと、細い指でこめかみを押さえた。