書庫3

□秋
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三成は今、左近を従えて馬上の人となっていた。ここの所、長く政務で大坂に滞在し、領国近江に戻るのは久しぶりである。いつもは大坂に行くにも左近を伴う事が多いが、今回は近江の政務の都合上、左近に後を任せて出かけていた。だから、二人が顔を合わせるのも久しぶりである。長く会えなかった、そして会いたかった男と、三成は二人きりになりたくて、城下を見回るという口実で遠乗りに出たのだ。鳰の海が眼下に広がる小高い丘にあがると、馬の脚をとめた。たわわに実った稲穂がキラキラと太陽を受けて揺れ、どこまでも広がっている。風に揺れる水田はまるで金色の海のようだ。農民にとっては、この一年の苦労が報われる至福の風景であり、稲穂の波は幸福の象徴だ。

「素晴らしい」

「ええ、今年もよく実った。豊作ですよ」

「ふむ、そのようだ」

聞くところ異国の地には、この様な風景はないと聞く。かように見事な景色を知らぬとは、さても異人とは気の毒な…と三成は思った。秋の美しさが、胸が締め付けてくる。

「不思議だな。こんな景色を見ていると…もう消えてなくなってもよいと思える」

三成のつぶやきに、

「何言ってるんですか」

左近があきれた顔をした。

「よして下さいよ、縁起でもない」

「いや、あまりに綺麗で…こういう中にあると、刹那的になるだろう」

「悪い冗談ですな」

「…ふむ、左近は俺なんかより風流を解するから、理解してくれるかと思ったのだがな?」

「…」

左近は黙って、片眉をひょいと上げてから、

「…わかりますけどね、お気持ちは」

「そうだろう?」

「ですが、殿。そういう事はおっしゃらないように頼みますよ」

「何でだ」

「何でって…」

ふい、と左近は顔をそむけると、馬からおりた。近くの木に綱をつなぐ。三成も促されて、地上に立った。黙って二人並んで景色を愛でていると、左近がポツリと、

「…ああいう事は言わないで下さい。たとえ冗談でも」

低い声でうなった。

「殿が死ぬとか死なないとか…俺は想像もしたくないんですよ」

「左近、大袈裟だろう。あれはほんの感傷で…」

「わかってますけどね」

それでも嫌なんです、と左近は言う。

「大坂行きの少しの間さえ、俺は殿が恋しかったと言うのに。永久の別れなど、めまいがしそうだ」

それは三成も同じだが、

「長く離れていて、久しぶりの再会だからこうして遠乗りに誘ってくれたかと、俺はホクホクしていたのに…そんな色気のない台詞を聞くなんてね。悲しくなりますよ」

あんまり左近が嘆くので、

「俺も、秀吉様には畏れ多いが…早く帰る事ばかり考えていた」

「本当ですか?」

「ああ。それに左近が俺に愛想を尽かす事はあっても、俺から離れて行くなどあり得ぬ」

嫌といっても一緒にいてもらうから、せいぜい覚悟する事だ…と三成は真面目な顔で言った。

「ははは、望む所ですとも」

笑う相手に、三成は尚も表情を変えず、

「古事記だったか…死んでしまった愛しい妻を、男が黄泉の国まで迎えにいくという話があっただろう」

「ああ…確か、黄泉の国を出るまでは、決して振り向いてはいけないって言われたのに、男は途中で妻がちゃんとついて来ているか心配になって振り向いちゃったんでしたかね。で、醜い姿を見てしまって、百年の恋も一瞬でさめて…逃げ出したって話でしたね」

「そうだ。もし俺が男の立場なら…」

「振り向かずに歩けます?」

「無論だ。俺は左近を信じている」

「それは良かった」

「…だが、振り向くだろうな」

「えっ、何でですか」

「だって、例えどんな姿だろうと…それが左近であるなら、別に構わん。良いではないか」

「はぁ…」

「いや、むしろ…」

「はい?」

「迎えなどせず、左近がそこにいるなら、俺も黄泉の国に住むかな」

左近は笑った。

「困りますな」

「そうか?」

「そりゃそうでしょ。二人とも死んじまっちゃ…」

「一緒なら、黄泉でも俺は構わんがな」

左近ならどうだ?と問われて、

「そうですね。殿を取り返すためなら…この左近、閻魔様とも一戦交えますよ」

「ほう。閻魔と鬼の戦か。見物だな」

三成が笑った。その形の良い唇に、吸い寄せられるように左近が触れる。

「綺麗ですね」

「うん、秋の景色は…」

「違いますよ。殿が、です」

「…」

左近が三成の額に口づけをした。そしてため息をついて、

「俺、このままなら死んでもいいですよ」

「よく言う」

睨むようにして三成が、

「死ぬだなど、二度と言うなよ!」

二人は顔を見合わせて、それから秋の空に響けとばかりに高笑いをした。




 

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