書庫3
□夜桜
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その日、三成は休みだった。左近の出勤を見送った後は、掃除をしたり、コーヒー片手にテレビをつけてリラックスしたり、のんびりと休日を過ごしていた。窓の外はすっかり春の日差しだ。
暖かい日が何日か続くと、固かった桜のつぼみは一斉にに開いて、あっという間に満開になった。華の溢れた空はまさに爛漫である。しかし、春の陽気は意地悪だ。見事に咲いた桜は、この時期特有の風と雨に叩かれ、嘘のように儚く散って、今は花弁が路上に敷きつめられている。窓からふと、その景色を見て、
「…散るのって早いなぁ」
三成がつぶやいた。桜が咲いたら、
「花見に行こうか。休みが合う日にでも、ね?」
左近がそう言って、そうだね、なんて話していたのだが、いざ咲いたら二人の予定が合う前に、花は散ってしまった。
「楽しみにしてたのになぁ…」
再びつぶやく。キッチンに立って空になったコーヒーカップを洗うと、三成は買い物に出掛ける事にした。左近は今夜、なるべく早く帰ると言っていたから、一緒に食べる夕飯の材料を少し調達したいのだ。
「何がいいかな」
春らしいメニューがいいな、なんて考えながらスニーカーに足を押し込むと、ドアを開いた。瞬間、風が吹きこむ。
「うわ…」
強風に巻き上げられた桜の花弁が、視界の隅々までを桃色に染めた。一瞬だがまるで幻想のようで、三成はしばし立ち尽くし、それから桜の木をながめて、
「花吹雪もいいけど」
枝には早くも、桃色を押しのけて緑の新芽が見えている。
「やっぱり散る前を見たかったなぁ」
いや、桜なら見ている。仕事からの帰り道、タクシーは桜並木を通る。満開の花のトンネルは、それはそれは美しく見事だった。車窓からの短い時間ながらも、何日かそれを眺め、三成は心潤されたものだ。だが、望むものはそうではない。三成は、左近と一緒に花を愛でたいのだ。
買い物を済ませて戻り、あれこれ雑用をしたりしているうち、日が傾き始めた。左近は何時頃に帰るだろう、などと思っていると、携帯が鳴った。左近からだ。
「もしもし」
『もしもし、三成?左近です。今家ですか?』
「うん。どうしたの?」
『いや…』
背後からはオフィスの喧騒が聞こえる。その様子からふと、
「あ、残業?遅くなりそうなのかな?」
三成は思った事を言った。すると左近は、いやいや…と否定して、
『突然だけど、これからちょっと出られるかな?』
「え…どこに?」
『外で一緒に飯でもと思って。どう?』
穴場を見つけたので、ぜひ一緒に…と言う。一時間後に待ち合わせをする事になり、三成が支度をして外に出ると、もう空は藍色がかっていた。
約束の時間より早く着いて待っていると、こうして左近と待ち合わせをして外で会うのは久しぶりだと気づいた。お互いが休みの日でも、何となく外出するより家でのんびりする方を選ふ事が多い。三成は左近と二人きりの空間が好きだし、家なら好きなだけくっついてもいられるし、特に不満はない。だが、久々に外で相手を待つ気分も、悪くはなかった。もうすぐ約束の時間だなと時計を見て、視線を上げると、果たして待ち人の姿が見えた。左近は片手に小さな荷物を持ち、もう片方でネクタイを軽く緩めながらこちらに歩いて来る。その様子に、三成はドキリとした。
―左近…やっぱり格好いいな。
がたいのいい身体に苦味走った面もち。スーツも似合う。
―こんな人が俺のパートナーなんだ…。
心臓の鼓動が激しい。周囲の女性が何人か左近を振り返って視線を送ったが、当の本人は全く興味がないようで、まるで見ていない。次の瞬間、三成の姿をとらえて目が合うと、鋭い眼差しをにっこりとさせて、
「ごめん、待たせちゃいましたか?」
「ううん、そんな事ない」
短い付き合いではなく、よく知った相手だと言うのに、三成はドキドキと返事をした。
「飯の前に、ちょっと寄りたい場所があって…」
そう言って、左近は先に立って歩き出した。どこへ行くつもりかとついて行くと、公園に着いた。桜で有名な公園だ。振り返って、
「三成と花見をしたいと思ってね」
「でも…もう散っちゃってるよ、ほら」
地面には沢山の花弁が落ちていて、枝はもう色あせている。
「ええ、この辺は盛りを過ぎてるね」
でも…と男がいたずらっぽく笑う。
「穴場、って言ったでしょ?」
そう言うと、普段はあまり人が入らなそうな公園の奥の、舗装もされない細い山道のような所へ入っていく。
「足元、気をつけて」
左近が手を差し伸べて、三成の白い手を握った。