書庫3
□おくりもの
1ページ/1ページ
今日はバレンタイン。
帰宅した孫市は、暗い部屋に明かりをつけた。慶次は今夜遅くなるという。なんでも取引先の上杉社長と飲むそうで、ウワバミの社長を囲む宴会は長引きそうだと言う事だった。だからと言って、孫市は拗ねたりはしない。バレンタインなんて女子の、高校生や大学生といった若い子のイベント…と思っているからだ。男の自分と、同じく男の慶次とは、そもそも縁のないものと捉えている。シャワーを浴び、冷蔵庫を開けてビールを取り出す。よく冷えたビールは、プシュっと泡をわきたたせた。夕食は軽く済ませて来ている。慶次は遅くなると言っていたが、幸い明日は休みだから、ビール片手に少し待ってみようか…などと思いながら、ぼんやりテレビをながめていた。
待ち人が戻ったのは、深夜と言える時間だった。まだ起きていた孫市を意外そうな表情で見て、
「もう寝てるかと思ったぜ」
強烈に酒が匂う。やはり相当飲んで来たようだ。
「かなり飲んでんな、慶次」
「おう。上杉社長と付き合うと、どうにも底なしさ」
「大丈夫かよ。水飲むか?」
「心配してくれるのかい?嬉しいね」
妙に慶次がベタベタとして来る。酔ってるせいなのかと思ったが、言葉もハッキリしているし身体が揺れるような事もない。大体、同じく酒豪の慶次がへべれけになるなど考えにくい。思えば、孫市は慶次が酔いつぶれた所を見た事がなかった。それどころか、酔った素振りすら記憶にない。
「水もいいが…せっかく孫市も飲んでるようだし、俺も一杯飲むかな」
「そうか」
二人並んでビールをあける。そうした間も、慶次の様子は普段と変わりなく見えた。ただ、いつもよりボディータッチが多い。
「なんだよ慶次…酔ってんのか?」
「ん?何でだい」
「何か…すげーからんで来るから」
「そうかい?」
慶次は少し首を傾げ、
「いつもは自制して我慢してるのが、酒が入って大胆になってるのかもな」
真面目な顔でそう言うので、思わず孫市は顔がカッと熱くなった。追い討ちをかけて、
「好きだぜ孫市」
慶次が男の肩に腕をまわす。
「お前さんが好きでたまらないんだ」
「…」
「俺の全てなんだぜ、孫市は」
「何だよそれ…」
「素直な感情さ」
孫市は距離を詰めて来る相手の身体を、
「よせって」
と、押し返したがそんな事で慶次はびくともしない。反対にぐいっと引き寄せられて、
「なぁ…俺が、お前さんのどこに惚れてるか知ってるかい」
耳元で囁かれた。吐息がかかって、ゾクリとする。身体中が心臓になったように、激しい動悸が駆け巡った。
「…な、何だよ、どうしたんだよ」
「どうもしないさ。ただ孫市にベタ惚れしてるだけでね」
「ちょ、おい慶次…」
遠慮会釈なく首筋を這う唇の感触に、孫市はあえぎ、もがいた。だが身体はしっかりととらえられたままだ。
「やめろって…」
「そういう素直じゃない所も、俺にとってはたまらない魅力だよ」
「…」
いつもは陽だまりのように優しく穏やかな愛情を向ける慶次が、今は欲情した獣さながらにギラついている。吸血鬼よろしく首を甘噛みして、ようやく離した顔からは射抜くような視線。孫市は背中が粟立った。向かい合った男は、とんでもない色気を放っている。気圧されて、声がでなかった。その頬を、大きな手が撫でる。
「驚いた顔も…」
グッと来るね、と慶次が笑った。
「好きだぜ」
親指が唇をなぞる。
「孫市の唇…綺麗だ」
「…」
「目も鼻も耳も…髪の先から爪先まで、全部好きだ。どこもかしこも、あんたは俺の好みなのさ」
「…」
「キスしていいかい」
「…聞くか普通?」
「じゃあ聞かない」
慶次に唇を覆われて、孫市は快楽の海に落ちていった。
翌日…。
驚いた事に、前夜の言動を慶次は丸っきり覚えておらず、
「社長と4升飲んだとこまでは覚えてるんだが」
酔いがあの行為をさせたと分かり、孫市を愕然とさせた。しかし、見た目には全く普段と変わりがなかったのだから、
「おっかねぇな慶次…泥酔してても素面の顔かよ」
昨夜の、いつもと違う慶次も悪くはなかったが、
「他でこんな事されたら参るな」
と少し顔をしかめた孫市に、
「大丈夫さ、酔っても…いや酔うと輪をかけて、孫市しか目に入らないからね。そうだったろ?」
「…」
「好きだぜ、孫市」
「…まだ酔ってんのか?」
「そういう事にしとこうかな」
慶次が孫市にキスをした。いつも通り優しく、でもいつもより濃厚なそれは、神様からのバレンタインプレゼントなのかも知れなかった。
了