書庫2

□御所草子U
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山城殿は、

「ただ、身代わりになった事にそなたが罪悪感を抱く必要はないと、それだけ分かってもらえればいいのだ…」

邪魔をした、済まなかったなとおっしゃって、腰を上げられた。

「そなたは忘れてくれ、全てを」

気まずそうに『それでは』と幸村に挨拶し、山城殿は背を向けられる。寂し気に見える貴公子の背中に、幸村は叫ぶように言った。

「お待ち下さい…!」

そして、今まで固まっていたのが嘘のように跳ね上がり、山城殿の後を追う。

「中将、私は…」

そこまでしか言葉が出ず、あとは何と言ったらいいか分からない。たまらず、衝動的に手を取った。山城殿の瞳が驚きに染まる。言葉に詰まって衝動的に山城殿の手を取ったものの、しかしそうしても言葉が浮かんで来るはずもない。目を見張って自分を凝視している山城殿の視線を受け止めかねて、幸村は再び、どうしていいかわからずに黙ってうつむいた。だが、握った手は離さない。山城殿の方も言葉を失われて、立ち尽くしていらっしゃる。

「あの…私は…」

しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのは幸村だった。遠慮がちに目線を合わせて、ようやく話す。

「忘れるなど、そんな事は私…」

たどたどしいが、必死である。

「あの夜からずっと、私は中将の事を…昼間、帝の御前でお見かけした時…並び立つお歴々の中でも、一番ご立派なのはあなただと…飛び抜けて目立つお綺麗さで…」

山城殿はハッと面を伏せられた。

「今も…私は、今宵の月を見上げながら、まるであなたの様だと…そう思って…」

だから、と幸村は力を込めた。

「私はあなたを忘れるなど出来ない。だからどうか…あなたも私を忘れるなどおっしゃらないで」

握っていた山城殿の手の甲を、己の頬に引き寄せた。触れた肌から、愛おしさが溢れ出す。

「真田殿…」

山城殿の方も、この展開は意外な事であったらしく、恥ずかしげにうつむいたままであった。少しの呼吸の後に、幸村に手をゆだねたまま、白い首筋や耳を朱に染めて、

「それでは、私は…」

と、緊張されたお声を出された。

「はい?」

「私は、そなたを忘れなくても良いのだな?」

「ええ、そうです」

幸村が手に力を込める。すると、

「…そなた、怒ってはいないのか?」

山城殿はそう問いかけて来た。

「怒る…私が?何故です?」

「何故って…つい先日まで、私は尚侍の君の事を想っていたのだぞ。そなたにも厄介を掛けたのだから、よく知っているだろう?」

だというのに、あっさりと手のひらを返すような心変わりをした自分を、軽蔑しないのか…とおっしゃる。

「私自身、こんなにすぐに尚侍を忘れてそなたに執心するだなんて…戸惑ったよ。なんと薄情なのかとね」

それでも、そなたを想う気持ちは鎮まらなかった。自分に困惑し、迷いながらも、気持ちを知って欲しくて、今宵そなたを訪ねたのだと山城殿は告げられた。

「薄情者だと、浅はかだと、そなたが私の事を思ったとしても無理からぬ…」

山城殿はだいぶ悩まれたようだった。

「中将…」

華やかなお顔立ちに苦悩をうつしたお姿を見て、幸村は胸を打たれた。

「どうか…そんな表情をなさらないで下さい。中将こそ、暗いお顔は似合いませんよ」

「…」

「尚侍の君の事や、ご自分のお心の移ろいを、私に隠さず打ち明けて下さるあなたを、どうして薄情だなどと思いましょうか」

「真田殿…」

山城殿の声が震えている。

「私も…あの日以来、中将の事ばかりを考えておりました。今、あなたも同じだったと聞いて、天にも昇る気持ちです」

幸村は山城殿の手を、両手で包んだ。

「私は中将と、隔たりの無い間柄でありたいのです。ですから、過去の事などご心配なさらないで…あなたが私を想って下さる、私にはそれだけで十分なのですから」

想う人を前に、まだ緊張はしていたが、幸村は自分でも不思議な位に饒舌だった。今の機会を逃しては、いつお話が出来るか分からない。だから自分の考えを知って欲しい…ただただそれだけで、とにかく必死なのだった。

「笑っていて下さい、中将。あなたには笑顔が似合う」

幸村はそう言った。

その頃…。

孫市は慶次に導かれ、とある一室にあった。みな宴に席を連ねているため、どこも静かなものである。そんな中、酒を持ち出して二人の宴が始まったのだった。そこは院付きの者たちが使えるようにと、帝がご用意なさった部屋である。

「まぁ、遠慮しないでやってくれ」

「こっちは忙しい身で付き合ってやってるんだぜ、遠慮なんてするかよ」

「はっはっは、そりゃあ有難うよ」

二人は杯を重ねていく。
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