書庫1
□優しい大河
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左近が予約した店は、大通りを一本奥に入った路地にある、小さな店だった。知らない人ならば、それが店とは気づかないほどに、入口は狭くて暗い。
「ここ…?」
驚く三成を『いいからいいから。』と左近は引き入れた。入口から店までは、細い道が続いており、薄暗い道を、二人は進む。
「うわ…ぁ!」
細い道から、一気に空間が広がって、三成の目が輝いた。
「すごい…」
そこには店と、店の広い庭があった。庭に、無数の光が飛び交っている。
「蛍…。蛍を見たのなんて、久しぶりだ…」
三成は嬉しそうだ。二人はしばらく、蛍を見ていたが、
「席からも蛍は見えるよ。座って乾杯して、ゆっくり観賞しようか。」
左近が三成を促した。左近が予約した席は、庭をのぞむ特等席だ。二人はシャンパンで乾杯して、また幻想的な光に見入ったのだった。雨が時折、パラパラと庭木を打ったが、すぐにやんだ。
―今夜は、織姫と彦星も会えたかな?
左近は、うっとりとした表情の三成を見ながら、そんな事を思っていた。
さて、孫市は…。
社屋から真っ直ぐ家に向かった孫市は、気づくと、自分の足が自然と急いでいる事に気づいた。
―こんなはしゃいで…犬みたいだな。
孫市は苦笑いをした。だが、足はゆるめない。
―慶次…。
慶次はもう、帰ってるだろうか。会ってないのはたったの二日なのに、孫市はもうすぐ慶次に会えると思うと、ドキドキした。じきに、マンションだ。
「ただいま!」
孫市が扉を開けると、部屋は真っ暗だった。どうやら、慶次はまだらしい。だが、孫市に落胆の色はない。慶次がまだなら、それはそれで、やる事があるのだ。
―まずは着替えますか。
孫市はスーツを脱いで、それを放りなげる。が、すぐにそれを拾って、ハンガーにつるした。これは以前、慶次に『ちゃんとハンガーにかけろ』と言われたのだ。
―変わったよな、俺…本当にさ…。
慶次は、まるで大河だ。孫市はそう思った。ゆらりゆらりと孫市の身体を包み、優しく流れていく…。
―流されてる所さ、俺は。だが、悪くない。
孫市はそっと笑った。
着替えた孫市は、キッチンに向かう。昨日、三成と一緒に作った料理の数々は、冷蔵庫の中だ。
「えーと…これは温める、と。」
孫市は三成が書いて渡してくれたメモを片手に冷蔵庫をのぞく。
「電子レンジで三分…って、最近のレンジはどうしてこんなにゴチャゴチャといろんな機能が付いてんだよ…!どのボタンだ!?」
孫市がレンジ相手にゴニョゴニョと愚痴を言いながら料理と格闘していると、
「孫市…。」
後ろから笑いを含んだ、慶次の声がした。孫市はハッとして、振り向く。
「慶次…」
そこには紛れもない慶次の姿があった。
「孫市、どうした?孫市がキッチンにいるなんて…しかも電子レンジに説教とはね。」
慶次が笑っている。どうやら少し前から、そこにいたらしい。
「うるせぇよ!帰ったなら帰ったと言え!」
孫市は恥ずかしくなって声を荒げた。
「声は…かけたさ。何度もね?」
慶次が孫市に近寄る。そして、その目が料理をとらえた。
「これは…」
慶次が驚いた顔をする。
「孫市が作ってくれたのか?」
「…そ、そうだよ。」
孫市は恥ずかしくて顔をそらした。
「俺のために…?」
慶次がまじまじと料理を見る。料理上手な慶次に見られるのが、どうにも居心地が悪い。
「あんまり見るなって。」
孫市が慶次を横目で伺いながら、制止する。
「孫市…っ!」
「うわ!」
孫市は視界がガクンと揺れた。慶次が、勢いよく孫市を抱き寄せたのだ。
「な、なんだよ?!」
驚く孫市の耳元で、慶次が言った。
「孫市の手料理なんて…嬉しいよ。」
慶次の声が、本当に嬉しそうで、孫市は何だか照れくさい。
「着替えて来いよ。用意しとくから。」
孫市がグッと慶次から身体を離した。
用意しとく、と言ったものの、半分は慶次にも手伝ってもらい、孫市と慶次は食卓を囲んだ。慶次が出張土産に買って来た地ワインで乾杯して、二人はともに料理を口に運ぶ。
「美味いよ。」
慶次がニッコリと笑った。料理上手の三成が手伝った料理だけに、味に心配はなかったものの、改めて『美味い』と言われて、孫市はホッとした。そして、三成の言葉を思い出す。
―相手の『美味しい』が嬉しい…か。その通りだぜ、三成。