書庫1
□優しい大河
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孫市は、危うく指を切りそうになった。
「あっぶねーな…。」
そんな孫市を、三成が笑いながら見ている。
「なんだよ、三成?」
照れ隠しに、孫市は不機嫌な声を出して見せた。
「不器用だって思ってんだろうが、これでもこっちは必死なんだからな!」
「いえいえ、違いますよ。」
三成が笑う。
「雑賀さん、本当に料理が苦手なんだなーって。」
「うるせぇよ!」
「…なのに、敢えてそれを頑張っちゃうんだから、可愛いとこありますよね。」
「三成、黙ってろ…っ!集中できないだろ!」
「はいはい、済みません。俺、こっちの下ごしらえしてますから。」
三成が、笑いをこらえて作業を始めた。そんな三成を、孫市は軽く睨みつけてから、再び野菜を切り始める。
―こんなに難しいなんて思わなかったぜ、まったく…。
孫市はそう思った。すると、また包丁があらぬ場所で躍る。
―やべぇ、こりゃ集中しねぇとマジで危ないぜ…。
孫市は気を引き締め、野菜と包丁に集中した。三成がその表情を盗み見て笑ったが、孫市にはもう、それは目に入らなかった。
今日は七夕前日の日曜日。孫市と三成は、左近の家で料理をしている。きっかけは、三成だ。左近から、今日は慶次が出張で不在だと聞いた三成が、孫市に『遊びに来ませんか?』と誘ったのだ。ヒマを持て余していた孫市は、二つ返事でやって来た。ちょうど左近も出掛けていて、二人きりになった三成と孫市は、しばしお互いのパートナーの話で盛り上がったのだった。
『明日は七夕ですね。』
こう言ったのは、三成だったか孫市だったか。そこから、話は何故か、一緒に七夕ディナーを作ろうという事になった。
『俺、料理苦手なんだよなぁ。料理はいつも、慶次の担当。』
『じゃあ、雑賀さんの手料理で迎えたら、前田さん絶対喜びますよ。』
そういって作業を開始して…。二人はキッチンにいる。
ようやく担当した野菜を切り終えた孫市が、疲れた声を出した。
「三成は料理上手いよな〜本当、尊敬するよ…。」
「俺も昔は苦手でしたよ。でも、段々と慣れて、楽しくなって来て。相手が美味しいって言ってくれると、俺も本当に嬉しいんです。」
三成が微笑んだ。
「相手じゃなくて、左近だろ?」
孫市がからかう。三成は顔を赤くして、
「ち、違いますよっ!雑賀さんでも、美味しいって言ってくれれば嬉しいです!」
慌てた様子で否定した。
「雑賀さんでも、ねぇ。」
孫市は苦笑した。三成の全身からは、幸せオーラが漂っている。
―左近のヤツめ。
孫市は、左近が頬をゆるめて『美味しい』を連発する様子が想像されて、また苦笑した。
「さぁ、出来ましたよ!」
なんだかんだと時間もかかったが、ようやく七夕ディナーが完成した。昼過ぎから作業を始めて、もう時間は夕方だ。
「前田さんが帰るの、明日の夜でしたよね?」
「あぁ、そうだけど。」
「じゃあ今晩の夕食、どうします?今作ったのは明日の夕食だし…。良かったら、家で食べて行きませんか?」
「そうだな…」
その時、孫市の脳裏に『美味しいよ』と目尻を下げた左近が浮かんだ。
―見せつけられんのは、ちょっとシャクだよな…。
いいよ、だいぶ長く邪魔したしな、と孫市は言い、帰る事にした。
三成が詰めてくれた、二人の手料理を袋にぶら下げ、孫市はブラブラと帰り道をたどる。盛夏も近いために、夕方とはいえまだまだ明るい。公園には中学生らしい数人が、キャッチボールに興じていた。孫市は何気なく公園のベンチに座り、それを眺める。こんな時、昔ならタバコをふかす所だが、孫市は慶次と約束して以来、キッパリと禁煙していた。
―タバコやめるなんて、思いもしなかったぜ。
孫市はそう思う。
―タバコをやめて…今度は料理だ。この俺が、料理!笑えるよな。
隣に置いた袋からは、かすかに良い匂いがする。
―料理なんて、そんなのは恋人がやってくれるモンだと思ってたが…。
ゆっくり、太陽が沈んで行く。辺りも、徐々に暗くなり夕闇が押し寄せた。景色も少しずつ様相を変える。
―変わっていってる。この俺も。
自分の中に、未知の光を見たような…孫市はそんな気がした。その光の中心にいるのは、慶次だ。
―慶次…。
孫市は無性に慶次が恋しくなった。
―たかが一泊の出張で…。
孫市はふぅ、と息をつくと、勢いをつけて立ち上がり、足を家へ向けた。中学生は、もういない。