短編

□太陽と月と君の毒
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「よっし…!これで最後、か」

虫取り網で逃げ出した毒蝶を捕えた。
思ったよりも時間がかかってしまい、頭上には満月が輝いている。
下級生を先に帰らせておいて正解だった。
泣いていた伊賀崎も、これで明日には元気な笑顔を見せてくれるだろう。

飼育小屋に向けて歩いていると、中庭に人影を見つけた。
明るすぎる月夜は、その影を艶やかに照らし出す。
嗚呼あいつか、と思い当たり、全く気配も消さずに近寄って行った。

「何してんだ、喜八郎」
「……竹谷先輩」

浅く掘られた穴の中に埋まり、綾部は鋤を抱えたまま体育座りで月を見上げていた。
ちらりと竹谷の顔に焦点を合わせたが、またすぐに視線を月に戻す。
何か不可思議なところでもあるのだろうかと同じように見上げたが、そこにあるのはやはりいつもと変わらぬ月だ。
しかし何が面白いのか、綾部は身動ぎもしない。
仕方がないので、竹谷は隣の地面に同じように腰を下ろした。

「月が眩しいなぁ」

別に返答は求めていなかったから、あまり声の大きさも気にせずに呟いた。
だから綾部が至極小さな声で呟いた事も、別に咎めはしなかった。

「…………月、って、」
「うん?」
「太陽が照らしてくれるから、眩しいんです」
「おう…?」

それくらいは座学が苦手な自分とて知っている。
それとも綾部にはそんなことも知らないと思われているのだろうか。
もしそうだったとしたら悲しすぎる。
竹谷のそんな様子には気付かぬようで、綾部はまっすぐに月を見つめたままだ。

「だから、僕は月なんです」

……何がどうなってそうなった?
ぱちぱちと瞼を開閉させて、だがそんなことで分かる訳もなく、
ぼさぼさの髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き回した。

んー?と首を捻り出した竹谷に、ようやく綾部は竹谷を見つめた。

「竹谷先輩がいるから、僕は輝けるんです」

貴方が太陽。僕は月。
貴方の光を受けて僕は辺りを照らす事が出来る。

「そんなこと、…ないだろ」
「あります」

思わぬ綾部の発言に顔を赤くして否定すると、すぐさま肯定された。
自分とあまり関わっていなかった頃の綾部だって輝いていた。
そうでなければ自分が惹かれる事などなかったろう。
第一自分が太陽だなんておこがましい。
だがそんな事を言えるような性格を自分はしていない。
ただ出来るのは、月光で照らされた真っ赤な
顔を綾部に見られぬよう、顔を背ける事くらいだった。

「あー、……その」
「はい?」
「………ありがと、な」

明後日の方向を向いたままの竹谷に、綾部は柔らかく微笑んで、はい、と頷いた。
まるで毒蝶の毒にやられたかのように身体がしびれて動かない。
だが今自分の脇に置いてある虫籠の中にいる毒蝶の毒には既に耐性がついている。


だけど、

そうか、

綾部の毒には、まだ耐性が出来ていないのだ。


気付けば、月は傾き始めている。
下手をすればこのままの態勢で綾部が朝を迎えてしまいそうで、腕を引っ張って半ば無理矢理立たせた。
けれど綾部は立ちはしたものの、その場に立ち尽くし月を見上げたまま動かない。
このまま放って飼育小屋に虫籠を置いて自分のみ帰る事は勿論可能であったが、
しかし竹谷の性格がそれを許さなかった。

「ほら、帰るぞ」

虫籠を持っていないもう片方の手で、竹谷は綾部の手を握り締めた。
ふわふわした髪の毛や小柄な身体の印象とは別に、そのあまり大きくない掌はマメだらけで固くなっている。
そういうのも気にしてないんだろうなぁ、と思いながら、竹谷は四年長屋に向かって歩き出した。
毒に耐性の付いていない綾部から虫籠を出来る限り離す事は忘れない。
手を引っ張られて、綾部も仕方なしにその後をついてくる。

「あ。さっきの穴、起きたらすぐに埋めろよ」
「覚えてれば善処します」

…念の為、自分が起きたら中庭に様子を見に行った方がいいかもしれない。

早々に明日の朝の予定が決まり、けれど何故か嫌な気持ちはしなくて、竹谷の足取りは自然と軽くなった。

綾部は再度月を見上げる。
やっぱり僕には太陽が必要なんだ。そう思った事は、彼本人しか知らない。

>>>END



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