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□春に眠る
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敏夫が貧血で倒れたと聞いて、真っ先に「有り得ない」と思った。
保健室でそれが真実だと目の当たりにして「似合わない」と思い直し、そんなささやかな罪悪感からまだ始まったばかりの昼休みを教室に戻れずにいる。



見慣れた顔が土気色で、ぴくりとも動かずに簡素なパイプのベッドに横たわっている。

窓の外では桜が残り僅かな花を散らしていて、蛍光灯をつけない正午の保健室を薄明るく照らしていた。四月も半ばの柔らかい風が吹き込んでモノクロ映画の様な世界を作る。
その風が微かな薄紅を敏夫の顔に落としたものだから、静信はその出来過ぎた光景に見入ってしまう。


散る桜。
明るい窓の外と仄暗い病室。輪郭が滲んだ薄いカーテン。
舞い落ちた花弁だけが生きた淡い薄紅をしていて、少年の寝顔から更に彩度を奪う。

ベッドサイドのパイプ椅子に、参考書とノートが積まれていて、ここに至る経過がそれとなく知れた。
原因を手繰れば彼の母親がありその末枝に自分の存在がある様な気がして、彼の頬に落ちた花弁を払えない。もどかしいような思いで、立ち竦んだまま指先が空をさまよう。


食事を終えた生徒達が校庭で野球を始めたようで、外からは賑やかな声が聞こえてくる。いつもならあの中心に敏夫がいて、笑って怒って楽しそうにやっているのだ。
静信は時折補欠要員にかり出されたが、大抵は教室で、今のように声だけを遠くに聞いていた。渦中にいるのも楽しかったが、そうして、遠く楽しげな声を聞きながら本を読む方が好きだった。敏夫は当然渦中にいることを好んでいるのだと思ったが、本当のところどうだったのだろうと再びじっとその顔を見つめる。


最近は寝る時だけが幸せだと笑った彼の冗談を、そのまま受け入れると世界が色を変える。
野球も眠りも勉強さえも、していることは同じになる。強がりな敏夫はそんな逃避を許さないから、日常に紛れて自分でもわからないくらいささやかに息を抜く。眠りについた彼は、目覚めを拒むように堅く瞳を閉じている。


このまま目を覚まさなければいいのに


と、随分婉曲した願いが浮かぶ。

それを敏夫が真実望むはずもない、
望んでいるのは自分なのだろうか。


「………、」


神様に嫌われているのかも。
静信は瞬いて、声無きうめきを上げた敏夫を見つめる。目を覚ましそうだ。まだ、だるそうに眉根を寄せているが。


もう少し眠っていればいいのに。


音を立てない様に一歩離れる。


敏夫がまだ覚醒しなそうな様子を確認して、また一歩離れた。




映画の情景は緩やかにフェードアウトして、揺れるカーテンと白い日差し、校庭の歓声が霞む。世界は自分の距離を広げながらも美しい春の一幕を映している。
きびすを返しても瞳を閉じても、瞼に鮮やかな残像が消えない。




了.

 

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