稲妻11
□摩天楼マスカレイド
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私は昔から中立を保つ人間だった。
目立ち過ぎず、地味過ぎずに。
自ら進んで人前に出るなんてことはしたくないし仕切るような器量も私にはないからクラスの委員長だとかに立候補するようなことはない。その場の話の流れに頷くし、かといって教室で何もすることがなく一人になってしまうのは嫌だからその時は適当に友達の輪に入る。
別に友達という存在や関係を特別大事にみているわけではないのだけど、ただただ私は極端に孤独や孤高であることを恐れた。
恐れ続けた結果、大きなトラブルはなく良く言えば周りとは広く浅くの付き合いで、平々凡々な生活をしていた。
そんな私の転機は中学の進路が王牙学園に決定したことから始まるが、決定といってもそこに私の意思は伴っていない。
将来に不自由がないから、という親の強い希望によるものだ。
私は生まれて初めて親に反発した。大反発した。
腹の底から唸りを上げて、喉を絞り上げるようにして、怒鳴り撒き散らし捲くし立てた。
国唯一のかの有名な士官学校なんかに入ったらこれまでの私の中立的な人生が変わってしまうことが目に見えていたのだ。
これまでの友人たちに特別執着していたわけではないけれど、築いてきた友好関係をすぐに手放せるほど冷たい人間でもない。一気に疎遠になってしまうのは堪えるものがある。
しかも王牙学園の生徒はその制服からしてとにかく目立つし、聞けばどこかの財閥や政治家やらの子息や令嬢ばかりだと言う。
そんなところに一般家庭で特別な教育を受けることもなく育った私が身を置くなんて想像もしたくない。
平民は平民のまま平民らしく生きていたって何ら問題なくそれなりに楽しい人生だって過ごせるのに、そうでもしなければならない理由がないもののためにその普通の生活を捨てるのが理解できなかった。
普通以上にありがたく尊いものはないはずだと信じているのだ。
それでも私は結局親の意見を振り払えず、言われるままに受験をし王牙学園に入学することになった。
「君が憎たらしい」
しかし、普通を望んでいた私が王牙に入学したように。私が信じているそれは、当たり前のように奪われるもの。
親に反発したと言っても入学してしまえば今までの環境とはかなり変わったけどそれなりに生活していたし、私の八方美人な人間関係のスタイルは保っていたが、入学してもうすぐ一年が経とうとする頃の進級試験一週間前。
ミストレーネ・カルスから初めて話し掛けられた瞬間、ああ終わったなと思った。
まさか初めてかけられる言葉が憎たらしいとは、なかなかに。
学校一の美少年と噂されるミストレーネは突然嫌で仕方ないというように冷たく私を罵るなり親援隊を引き連れて通り雨のようにさっさと去っていった。
勿論、私はクラスメートという点以外はこれまで何の接点もないし恨みを買うようなことなんてしていない……はずだ。
同じクラスだったが奇跡的というべきかこれまでまともに話したことはない、というかあんな目立つ人物に自分自身関わりたくない。
あんな取り巻きがいては私みたいな平凡な人種が関わったらどうなるか明白過ぎる。
二年次は成績順にクラス分けされるという。正直この一年同じクラスであることにひやひやしていたが、二年生になればミストレーネ・カルスはトップクラス、私は普通ど真ん中のクラスだろう。せっかく奇跡的に穏やかに一区切りできると思ったのに最後の最後で目をつけられるなど。
ミストレーネ・カルスの気に食わない相手だとなれば親援隊に何されるか分かったもんじゃない。
私は初めてこんなにも学校に行きたくないと思った。
「貴方、ちょっと来なさいよ」
そして予想通り、彼の取り巻きであろう女子達に人生初の呼び出しを食らったのだが、これからどんな罵倒をされるのかと思うとただでさえ足が重く感じるのに連れて行かれた先、闘技場にミストレーネ・カルス本人がいるのを見てさらにしんどくなった。
一体闘技場で私をどうするつもりなのか、彼は女には手をあげないと聞いているけれど気が抜けたものではない。
彼は闘技場のど真ん中で突っ立ってこちらを見つめている。
気付けば、私を連れてきた女の子達はいなくなっていた。
逃げようと思えば逃げられるが彼と私との微妙な距離感は寧ろ逆に逃げない方が得策のような気がした。
まあ、ここまで来て逃げるというのも今更なのだけど。
「来週の試験、上位10位以内に入れ」
「は?」
こちらが構えているうちに向こうから口を開いてくれたと思えば、思わず間抜けな声が出てしまった。
てっきり罵声か何かを浴びせられるものだと思っていたのに試験の話がここで出てくるものだから肩透かしを喰らってしまった。
「嫌だ」
いつも超平均のこの私がいきなり10位以内に入るなんて有り得ない。しかもこれには来年度のクラス分けにも関わる。
「嫌?君の意思はどうでもいいね。君は10位以内に入るんだよ」
「なんで貴方にそんなこと決められなきゃいけないの。嫌なものは嫌」
「嫌でも、無理ではないんだろう?」
「え?」
ミストレーネ・カルスはお得意のいやらしい笑みで私の思考を強張らせる。
きっと、こんな皮肉った笑顔でも女の子達は騒ぐのだろうが。
「どうせ自分は来年は成績順で中間クラスになると思ってるでしょ、君。」
「そりゃあ…」
「そんなことは君ならできて当たり前さ。」
「…ずっと平均的な成績だったからね」
今度はみるみるうちに眉間に皴を寄せて、初めて話し掛けられた時の彼の顔になる。
さっきから話が噛み合っていないようだ。
半歩後ろに下がるとミストレーネも半歩こちらへ寄ってくる。
「俺は君のそういうところが嫌いだ。全部わざとそうしているくせに本気で向かっている俺らの前でへらへらしてる」
声喉を潰すように低い声で私をそう罵った。
普段のソプラノに近い声はどこにいってしまったのかと思うくらいに、憎しみの込められた言葉だった。
その重圧された一音一音に私は言葉を失う。
怖じけづいたのではない。
確かに言い訳もなにもない、全てが本当だったからだ。
積み上げてきた積木を底の方から一気に引っこ抜かれたような心地さえした。
「君は俺達を見下しているのか」
「それは違うよ」
「何が違う!手を抜くというのはそういうことだろ。このくらい手を抜けばこいつらの下、あいつらよりは上になるだろうって計算してるから『平均的な』成績にできるんだろうが!ふざけんな!」
女は傷つけないという優しいミストレーネは、私の代わりの怒りの矛先に迷って闘技場の装置を見事な横蹴りで蹴り上げた。
装置は闘技場のものだけあって頑丈に作られているようで、破損はしなかったが、衝撃で何らかのバグを起こしたのか何なのか、模擬対戦パネルが開いて浮かんだ。
一瞬にして嫌な予感が過ぎる。
彼はその私の思惑通り、パネルを乱暴に叩いて仮想武器を次から次に召喚しては取り出し、私に向けて一心不乱に怒りを放ち、あるいは投げて、あるいはぶつけ、あるいは振り回してきた。
私は動かなかった。全ての猛攻が私を貫き、吹っ飛ばす。
模擬対戦のシステムのおかげで外傷はないが、痛みは受ける。
全ての一手が鈍痛、激痛となって私を痛め付けた。
私は一分もしないうちに立てなくなって倒れたが、ミストレーネは膝をついて電子の刀で私と地面を突き続ける。
もう何が痛いのか分からなくなって私は私を刺しつづける彼の顔をぼんやりと眺めた。泣いている。
本当に、ミストレーネ・カルスは綺麗な人だ。どんなに憎悪をもって私を睨んでも、泣いても、美しい顔をしている。真っ直ぐ輝いてる。
胸のあちらこちらに穴が空いて鬆ができていくような熱い錯覚を覚えて私もつられて目尻に涙をつくった。
私が彼に劣らぬ才を持っていたことを彼は知っている。
そして、いつもバダップだけには勝てないと不満げに嘆きながら校内No.2の座に居座っている彼が、首位のバダップを引きずり落とすためにいろんな努力をしていることくらいは、私も知っている。
「ミストレーネが首位を勝ち取るために勉強も訓練も頑張ってるのは知ってるよ」
「……」
「私、軍人になんかなりたくないんだよね。自分でも驚いてるけど女の割に軍人には確かに向いてると思う。王牙には親の言いなりで入学したのにいざ来てみたら予想外に合ってた。でも私は友達とお買い物行きたいし、おしゃれしたい、やりたいゲームだっていっぱいあるよ。友達はできたけど、ほとんどがどっかの子息とかお嬢様だばかりで育ちの差を感じる」
「……そっか」
ミストレーネは立ち上がって模擬対戦のパネルを閉じた。
「ごめん、本当にごめん」
「ん、別にいいよ」
「治療室、行く?」
「いや、それはいいや……傷はないんだし。でも痛くて動けないからとりあえずもうしばらくこのままがいい」
本物の武器使われてたら私の体なんてもう原型を留めていないだろうが、電子の武器は傷なんて一つも付けない。
ミストレーネは女に手を挙げてしまったと後悔して苛んでいるかもしれないが。外傷がないからノーカウントだ。
ただ、傷はなくとも全身がジリジリと熱をもって私の体中を支配されている。
これでも実際の痛みの10分の1もないというから、現実であれば痛みだけでも失神するレベルだという。
「君さ……ここまできて本気を出してくれないんだね」
「気が済むまでやってくれた方が良いのではないの?」
「これじゃあ俺のただの嫉妬じゃないか……そういうとこが嫌いだよ、やっぱり」
ミストレーネは私を真似るように隣に横になった。
無駄に高い闘技場の天井をぼんやり見つめる。
「俺は君と勝負してみたいんだよね、本気で。勉強も、試合も」
「……うん」
「提督や教官はきちんと君の潜在能力を見抜いてる……君が軍人にならないって言ったらすごく反対するだろうし説得しようとすると思う。でも、誰が何と言ったところでなまえのことはなまえが決める。普通に生活するならすればいい。どちらにしろ選択肢は広いのがいい。俺は、頑なに本来の自分を抑える必要もないと思う」
「でもやっぱり今までずっと保ってきたこのど真ん中スタイルを崩すのは、怖いな」
「いいじゃん、来年も俺がいる」
さらっと痒い言葉を囁くのは彼らしいのかもしれないけれど、いつも教室や廊下でぼんやり見ていた彼のナルシシズムを振り撒く姿や勝ち気な会話からは想像もつかないこの優しいアルトは、多分どの女の子も聞いたことない。
隣に顔を向けなくても、きっと今も美しい顔でこの天井を見てる。
私が彼という人間ときちんと面と向かったのは今日初めてだけれど、そんな気がするのは自惚れでもなんでもなく、いつの間にか握られている左手から伝わってくる拙い感触と、治まらないジンジンと痛む全身の熱。
それから、今から見られるであろうまだ誰も見たことのないとびきり美しい桃色の頬。
私の心臓が震えて揺れる。
腹の底から唸りを上げて、喉を絞り上げる。
「ああ…そっか。今日貴方は私に告白をしに来てくれたんだね。」
あと一週間と迫った私の目の前の選択肢は一つしかなくなっていた。
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