稲妻11

□結んだ指の強さに縋り付いて君の孤独を離さない
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淡々と軽快な機械音が順に鳴って、扉は滑らかに、あっさりと開かれてしまった。
入るなり相変わらず殺風景で妙に足元の冷える部屋だ、と彼は自分でも不思議なくらい呑気に足を進める。
ぱっと見た感じは、部屋の主は見当たらなかったが、奥の寝室に彼女、みょうじなまえはいた。
一人で手足をその柔らかく暖かな海に広げて浮かんでも有り余り過ぎるくらいの大きなベッドに、蒼白で華奢な四肢が白いシーツの上にお行儀よくまるで人形のように寝かされていた。
もしかしたらそこにいるのは彼女に至極似た精巧なビスクドールかもしれないと思うほど冷ややかな肌の、なんと魅惑的なことだろうと、彼は色付いた嘆息を漏らす。
いつも制服から垣間見えていた白い巻物はそこには一切存在せず、ずっと隠されていた皮膚には一つの傷もない。
つまり、悪い言い方をすれば皆揃って騙されていたのだ。
しかし、今の彼、エスカバには、そんなことはどうでも良くて、どうでもよくなるほど現在進行形で、彼の思考は唯一に削がれていた。
そうして長らくエスカバの思念を占め彼女の顔に巻き付いていた…はずの、あの包帯だけが、ぽつんと瞼の上に掛けられていた。その下が見えそうで見えない中途半端な乱れ具合がまた、彼を誘うようだった。
そのまま白い包帯に誘われて、まるで死人を看取るような様子で、しばらくの間じっと見つめて、しかし衝動的にその包帯に手を伸ばし、掴み取った。
すると、閉じられた瞼の封をきっちり閉じるようにして並んだ細やかな睫毛が覗き、エスカバの鼓動が速くなる。


コ ン ニ、チ、ワ ?


噤まれていた唇がみるみるうちに、ゆるゆる孤を描いて……開いた。
エスカバは釘付けになる。
本当に、そのままの意味で釘刺しにされた感覚。綺麗に釘刺しにされて標本の昆虫にでもなったみたいだった。
黒い睫毛のカーテンが開かれ、そこに現れたのは、……ああ、あの、焦がれたアクアマリンじゃないか!
澄んだ冷たさを持ち、はっきりと、確かにエスカバを捉えて、離さずに。その瞳に映した。
エスカバの三白眼が大きく揺れながらも彼女の瞳孔を射る。
思わず感嘆のあまりに小さく吸い込んだ息がなまめかしく、気管を伝い肺の中でどろどろと熱を持っていた。


「よォ。……マネキン人形。」
「目覚めてすぐに視界に映さなければいけないのが貴方なのね。」
なまえは心底どうでもよさ気に、溜め息をつくように言葉を吐く。

「失礼だなァ。口をききたいならマネキン辞めたほうがいいんじゃねェのか?」

それに対し、何の思惑もなくエスカバの口から飛び出たのは幼い憎まれ口であった。

「面白いこと言う。」
「もっと言ってやれば、まるでバダップの人形だ。」
「あれ、いつから私はあやし人形になったっけ、バダップ?」

エスカバは背を硝子の羽に撫でられた心地がして息を詰まらせた。何も感じていなかったのだ。いや、確かにほんの先程まで存在しなかった。軍靴がカツカツと部屋の前の廊下を叩く音、この部屋に来るまでの足音どころか気配の一つも、何も。
しかし回れ右をすればエスカバの背後にきっちり合わせて立つバダップがいる。
恐らく、最初からエスカバが来た時から室内にいたのだろう。
瞳孔の奥で深紅の眼光が鋭利に光っているように見え、エスカバは自分が気負けしてしまったのを瞬時に感じ取った。

「……邪魔してるぜバダップ。」
「ああ。」

自分の部屋に勝手にずかずかと入ってきた侵入者の顔を見ても、バダップは全くといっていいほど動揺しなかった。
エスカバが最初の一瞬に感じたより殺気立っていないのは、瞬時にそのように切り替えるという並大抵にはなせる技ではない。
バダップにとって色恋に興じていることは己の鍛練や他にあまり影響はないらしいとエスカバは記憶した。

「バダップ。」

いつの間にやら体を起こしたなまえが両腕を差し出してバダップを求め、バダップはそれに答えた。
母を求める迷子の必死な腕と、母親の慈愛のようなものさえ感じられる暖かな抱擁。
しかし、エスカバにはやはりそれが異端の光景に見える。
なまえが白い包帯の下に何の傷もなかったように、光を見る両目が塞がれていたように。

「とんだ茶番をしてくれやがって。」
「茶番なんて馬鹿馬鹿しいものではない。俺達に必要なものであって無駄ではない。」

バダップがなまえの首に頬を寄せたまま視線だけをこちらに向けて答える。
エスカバも冷ややかに視線を返すだけだ。

「でなければ何と?」
「ただの恋仲には見えないか。」
「見えねェな。」
「そうか。」

愛しさを吸い込み満たされつつ自らその愛しさを与えんとする一人の男、また、愛情を注がれるのを待ち慈愛を求める子供に似た姿。
確かにエスカバは今日この場で初めて、バダップという人間の埋められていた性質を垣間見た。
が、同時に、ヒビキの言うところの毒を、舐めた。
何にも劣らない「毒」の猛威が少しずつ奮われていくのを、視覚から侵されているのを、感じる。
その毒がどうしようもなく彼らを異端に見せるのだ。
なまえの包帯をずっと握っていたせいか蒸れて汗ばんだ手に力が入る。
あの青い両目を塞いでいた真っ白な。傷一つない肌に巻かれていた真っ白な、包帯。
目の前の二人。包帯。

「確かに、言われても仕方ない。何せ、互いに互いの好意を自らの口で告げたことは一度もない。」
「……あ?それでも恋人だって?」

エスカバが静かに驚くのを見て、バダップはようやく体をエスカバの方へ向き直った。

「そうだ。なまえに直接言ったことはないが、なまえを好きなのかと聞かれれば、俺はみょうじなまえを愛してる。」
「……お前の口から愛って言葉が出るのがもはや信じ難いな、俺ァ。今更そんなことに驚くのも笑えるが。」

まさか恋人からの初めての告白が第三者との会話中であるとはなまえが憐れではないか− とエスカバは思ったのだが、そんな心配もよそになまえは表情一つ変えずただ目を閉じてバダップの肩にもたれていた。

「気持ちを伝えないのなら何をもってして恋人だと言うんだ。何を基準に互いにそう自負している。」
「伝えているし伝わっているからだ。互いの言動全てから。気持ちを伝えることを何故言葉そのままに縛られなければいけない。好きだなんて言葉にするのは簡単だ。人が嘘を簡単に吐くように。言葉に縛られる奴ほど偽物臭い。」

ここで、ずっと黙ってバダップに引っ付いていたなまえがようやく口を開いた。

「で、貴方は何がしたいの。もっと他に聞きたいことがあったんじゃない?」
「ん?ああ……」

いつもと変わらないゆったりとした口調でなまえは微笑んでいる。
いつも通りの彼女で。いつも通りじゃないこの空間と状況だからこそ。
今のなまえはいつもの幼い笑顔ではない。

「まぁ分かってたけど今のを見てても貴方が到底私達を理解できないみたいだから、敢えて私から話してあげるね。」
「私は嘘が嫌いよ。」
「私はバダップしか見たくない。」
「私はバダップと『ずっと』一緒にいたいだけ。バダップだけ。」

いつものようにゆったりとした口調のはずなのにエスカバはなまえのその恍惚として語る姿に、一気にまくし立てられるかのように、圧倒された。あっという間に。怒濤のように。
なまえに頭がついていかない、というより彼女の言葉を咀嚼して飲み込むのに時間がかかった。
薄笑う彼女。バダップ。包帯。澄んで冷たい青の瞳。ゆらゆら恍惚と揺れるマゼラン。ニヒル。

「みーんな嘘つきだ。一緒にいると言いながら本当に『ずっと』一緒にいてくれたのはバダップだけ!クラスが違えば離れ離れだし家が違えば帰り道で別れる。それぞれ一人の人間なんだから当たり前よね?だから、泣きたい時寂しい時死にたくなる時、本当に側にいてほしい時に『友達』は大抵そこにいないのよ。」

それが当然で当たり前で。そうだと認識していながら。それがどうしようもなく悲しくて。
ぽっかり空いた穴を塞ぐ詰め物もなく。仕方ないと諦めることもできず。

「でもバダップはずっとずっとずっと一緒にいた!私が望んだように。ならば、私もバダップの望む私になる!」
「バダップが少しでも嫉妬を抱くなら私は私の目からバダップ以外を排除する。他人を寄せつけない私にだってなる。」

その目の澄んだ冷たさを全身に纏って、いつかの盲信的な銀髪の鬼によく似て、それは。
バダップの人形ではなく、しかし、ただ一つの真っすぐな意思を持った、綺麗な毒を持った人形だった。
なまえとバダップ。
毒を擦りつけ合う純粋な。

「ある意味君の推理は間違っていなかった、俺は確かになまえを傷つけたくなるくらい愛してる。」

そう。
そんな野暮な真似をするのがバダップ・スリードであるわけがないのだから。

「でも醜い感情などのために彼女を束縛したり傷つけることはしない。」

−ああ。
あまりにもすっきり過ぎる納得をせざるを得ず、途端に胸の内が剥がされて風穴を空けてしまったエスカバに、バダップは弾丸をもう一つ捩込んだ。




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