稲妻11

□元々これは幸せなお話だということを忘れていたのよ
1ページ/1ページ

今日はカレー。鍋に残ってる。冷蔵庫にシュークリーム入ってるから食べてね。

簡素なメモをラップのかかったサラダの上に残して、手早く食器洗いを始める。
洗剤をスポンジに取りながら時計を見ると19時半を回っていた。
この時間になってもマサキが帰ってこないということは、部活が終わってからまた河川敷で練習してるのだろうか。
遅くなるなら連絡くらい寄越せといつも言っているんだけど、まぁ期待はしていない。
全く心配していないわけじゃあないから、いつも肺に砂利を抱えているようなすっきりしない気持ちで帰りを待っている。
今日は、後で冷蔵庫にしまってあるシュークリームに辛子でも仕込んどいてやろうか。


「ただいまー…」


予想より30分くらい早かったが、お風呂から上がった頃に奴は帰ってきた。しかし遅いものは遅い。
そろりそろりと部屋に入っていくあたり、ばつが悪いらしい。
分かっているのなら何故一つの連絡も寄越さないのか。少なくとも彼よりは学習能力のある私には分かりかねるのでいい加減説教をするのも面倒だった。
ともあれ、とにかく無事に帰宅すれば、私が安否を一々心配しなければならない点とご飯が冷めてしまう点以外は何ら問題はない。
結果的に何事もなく帰ってきてくれさえいれば良いのだけれども。

「おかえり。マサキ、今日も遅かったね。」
「おま、バスタオル一枚で来るなよ………あー…、いや、うん。ごめんって」
「何回も言わせないで」

冷めたカレーを火にかけて脱衣所に踵を返す。
明日も学校だし早く寝たいので一々付き合っていられない。
朝早いのは部活の朝練があるマサキの方なのだけれど、何せ帰りが遅いから寝るのも遅かった。
マサキみたいに汗と泥に塗れて疲れた体で遅い時間に寝るなんて、いつも規則正しくしっかりとした睡眠時間をとる私は到底考えられない。

「おやすみ」

髪を乾かしてささっと寝る支度をし、そそくさとカレーを食べるマサキの背中に声をかけると、先に寝床につく。
私は決まって10時くらいになると睡魔に負けるからいつもマサキが寝るのを待たずに私が先に寝てしまうのだった。
シーツのひんやりとした感触が心地好く肌から染み渡ってきて、一日働いた私の頭を冷ます。



目を覚ました時、辺りはまだ真っ暗だった。
汗で寝巻きがぐっしょりしていて気持ち悪い。
眠りについた時のあの心地好いシーツもすでに汗でグシャグシャのベタベタだった。
体がかなり火照っている。やはり、あまりの暑さに目を覚ましたらしい。
それでもいつもは途中で目を覚ますなんてほとんどないから珍しいのだが、これも原因ははっきりとしている。
そろりそろりと寝返りを打つと、私を腕と足で引き寄せて…というより、しがみつくようにして隣で寝ている奴の寝苦しそうな顔がすぐそこにあった。
暑いというのに引っ付くからだ、しかもこの汗の量は恐らく寝床に入ってから寝苦しさにも負けずとして私にずっと抱き着いていたに違いない。そりゃ今にも夜泣きをしそうな赤ん坊みたいに顔が皺くちゃになるわけだ。ざまぁみろ。
私まで汗だくになるのは解せないが。……でも悪い気はしない。
こんなに間近でマサキの顔を見たのはかなり久しいように思う。
― ああやっぱり好きだなあ。
なんて、急に愛しい気持ちが沸き上がってきた。
中学に上がって、転校して、おひさま園を離れて二人暮らしになってからずっとバタバタと物事が進んでいたものだ。
ずっと互いに自分のことに精一杯で、生活リズムもバラバラで、会話も必然と減っていた。
互いの間にある空気が冷えきってあかぎれができていた。
寂しかったんだと思う。自分も。
毎日一緒にならんで寝ることで凌いでいた。
寝る時間も起きる時間も違うけれど、唯一私達が一緒に過ごす時間。
とらいえ毎日隣で寝ていてもいつもはこんなふうには寝ていないはずなのだけれど。
今にも起きてしまうのではないかというくらい寝苦しそうにしているマサキの、汗で濡れた髪を指で梳く。
互いに淡泊なのだと思っていたのに、私達を淡泊の一言で片付けていたこと自体が淡泊で、そもそも「私達」ではなく本当は私だけだったのだろうか。
マサキはこんなにも寂しがり屋で、それを私はいつの間にか忘れてしまうほどにマサキをなおざりにしていたのは私で。
私が気付かなかっただけで、たまたま今日私が起きただけで、マサキはずっと寂しかったかもしれない。
それならそれでマサキだってたまには早く帰ってきて一緒にご飯くらい、とも思うけれど、急に溢れたどうしようもなく恋しい衝動に霞む。
彼の背に腕を回して体を引き寄せると汗でしっとりした寝巻の感触が伝わってくるし蒸し暑いしで寝苦しい。
でも不思議と自然に瞼は下りてくる。

「……なまえ?」
「起こしちゃったか、ごめん」
「んー……」
「……おやすみ」

瞼を親指で撫でると素直に目を閉じるマサキにまた胸が燻るようで、暑さや寝苦しさも全部が幸せの塊に思えて、身体が熔けるような心地さえして、微睡む。
起きたらまずシャワーを浴びないといけないなあとぼんやり思いながら汗ばんだ胸板に顔を埋めた。








 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ