稲妻11

□とある雨の日のファンタジー
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鼻の頭に何か冷たいものを感じて足を止めて空を見上げる。重々しい曇天の空が突然赤子のように泣き出した。ひとつみっつ、小粒が落ちてきたかと思えばみるみるうちにたちまち数え切れないほどの大粒が私と地面を叩き付けた。

『…最悪。』

傘の代わりになるものは何もないので構わず走りだす。泥と雨水が跳ねて足を濡らした。冷たくて気持ち悪い。少し走っただけで靴は雨水を吸ってびちょびちょのグシャグシャだ。慌てて家を飛び出したから履き間違えたのだろう、今日に限って履いていたのは水捌けの悪いただの運動靴だった。朝の天気予報のお姉さんの晴れという言葉を信じて何も考えずに出て行ったらこのざまだ。本当にツイてない。お姉さんの嘘つき。
とはいっても先のことは訪れるまで誰も分からないのは当然であって、天気予報はあくまで予測なのだから当然違う結果になる時もあるし、突然予想もしない出来事が起こるのも当然の話だ。
そんなことは分かっているのだけどそれでもやはり当たり所がないと気が済まないもので、自分に都合よく何かのせいにしたくなるものである。

雨は一向に止む気配がない。きっとこのまま今晩は一晩中降り続けるだろう。一度泣き出したらめんどくさい赤子のように、あの灰色の雲も、あの降り出し方といい、この様子では雨宿りもできそうにない。そもそも自分が何処に行こうとしているのかも分からない。雨に浸かった道路をただがむしゃらに走り続ける。

ふいに目の前が真っ白になって転んだ。立ち上がろうとした時、何かが近くて爆発したような音に腰を抜かしてまた濡れたお尻が雨水に浸かった。すぐに辺りがまたチカッと白く光る。反射的に耳を塞いだけれど、耳を塞ぐ両手をすり抜けて、向こう側から、鋭くて、引き裂くような、重い、音がした。…雷だ。
びっくり、したのと恐怖、とで腰が上がらない。傘も差さず軽装で全身泥と雨水に塗れ、怯えてしゃがみ込んでる様子はとても惨めに違いない。凄まじい雨の打ちつけで真下の水溜まりにそんな惨めな姿さえかき消されて映らないのが、また惨めに思う。
もうこのまま雨に打たれていてもいいかもしれない。
足を抱えて顔を伏せたけど、確かに雨と雷の音はまだ確かに聞こえている…なのに、突然雨が私を打つのを止めた。


「そんな所で何やってんだ。」


予想もしなかった声に、顔を伏せたまま目を開けた。あぁ、奴か。
奴が真っ赤な傘を差して立っていた。もしかして私を迎えにきてくれたのかななんて一瞬の期待をして垣間見えた優しさに泣きそうになったけれど私の頭はすぐに家を飛び出した時の怒りを思い出させた。
そう、私は怒っているのだ―
しばしの沈黙を決めて、動かない。奴も動かない。
奴が傘を差しているおかげで実際にはもう雨に打たれてはいないけれど、私は未だにあの空と同じように曇天からふる雨に打たれているような気持ちだった。
それが妙に気持ち悪くて、いっそずっと雨に打たれていた方が良かったということに気付いた。今、奴の優しさを受けとるのは、雨に打たれた後にびしょ濡れのタオルを渡されるようなものだ。


「…ごめん。」


返事はしない。とにかく私は怒っているのだと無振動の空気で伝えた。
それが伝わってなのか、ほんの少しだけ顔を上げるといつもはキリリと強気な眉を八の字に下げた奴が傘を差して突っ立って私を見下ろしていた。少し後ろめたくなってきた。


「…お前の傘も、持ってきた。」


だから、と言って前屈みになって私と同じくらいまで目線を合わせて、私の左手を掴んで引っ張った。私は立たなかった。視線だけ上に向けると、まだ眉を下げて私を見ているのが分かった。目が合うのが怖くてすぐ逸らしたけれど…奴の、…一瞬合った彼の目を見た時、なんだか自分がいじけてへそを曲げた子供のように思えてきて、さっきまでの怒りが揺らぐ。…彼は飽きれていないだろうか。
そもそも、今思えば大したことじゃなかった。…いや、私にとっては重大に値するけども、どうしようもないことだったのは確かだ。
楽しみにしていた今日のデートが急に決まった他校との練習試合だとかなんとかで流れてしまったのだ。彼に言っても仕方ないと分かってはいたけど、どうしようもなく悲しくて、寂しくて、彼にはどうしようもないことで私は怒ってしまった。彼はサッカー部だ。運動部だから毎日のように練習はあって朝練もあるし、下校時刻ギリギリまでやる日だってある、土日がつぶれるのはざらでもない。
そんな部活が今日、日曜日の練習が久々になかった。私にとってどれだけ嬉しかったことか。彼から今日のデートの誘いをもらった時には飛び跳ねて喜んだ。
…でもそれはきっと彼も一緒だったに違いないのだ。


『…私も、ごめん。』
「…ん。」
『傘、ありがとう。』
「うん、あの、さ。雨が降り出したから試合、流れたんだ。」
『…そっか。』


もう一度彼の目を見る。真直ぐに。彼は照れくさそうに笑った。


『帰ろっか。』


今度こそ彼の手を取って立ち上がる。晴矢の少し大きな手から温もりが伝わってきてすっかり冷えた私の手を包むようで、少し涙が出た。
そんな私を見てか、晴矢は また笑った。さっきの笑顔とはまた違う。今度のは安心感のある、まるでお母さんみたいな。まるで自分の子供をあやすような、そんな目で。温かい。


「家、帰ったら風呂入って着替えなきゃな。」


そんな彼に安心を抱く私もやはり子供なのだろうか。
何かちょっと悔しい、複雑な気持ちになった。そんな私を知ってか知らないのか。晴矢は言葉を付け足す。


「んで、今日は家で二人で ゆっくりしよう、な!」


その一言で私はすぐに機嫌を直して大きく頷いた。晴矢の言葉は私の涙の跡まで乾かす。さっきまで怒って泣いていたのに私は本当に単純だと思う。彼の言葉は魔法か何かなのだろうか。
さっきまでどしゃぶりだった私の心に晴矢がひょっこり顔を出したのだ。名前というのは本当にその人を表してるから不思議。
彼の言葉は、晴矢は、私の太陽みたい。


『ね、家で何しようか。』


雨はまだ降っているのに繋いだ晴矢の手からまるでひなたぼっこをしているような気持ちを感じるのは、やはり、私は幸せ者だ。







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