Pop'n music

□造花
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『涙が出てこない。』

悲しいのに、と呟きながら隣に座る名無しさんの黒い瞳は彼に向けられていた。しかし見ているのは彼ではなく、彼よりもその先にある奥の空間のようだった。そんな空間なんてものはないが、そういう風に、彼を通してどこか遠くを見つめていた。
自分は、そんな彼女を黙って見つめる。
名無しさんの体は脱力しきったように、腕は重力に従うまま、足は膝を折って床に半ば投げ出されている。
自分は彼女を見、彼女は彼を見、彼はしかし誰を見るわけでもなく二人の視線の追いかけっこの行き止まりのように瞼を閉じている。
名無しさんはそれでも彼から目を逸らすことはなかった。
悲しみを帯びていても瞳の中の光を失わないままでいる名無しさんの姿にチクリと刺されたような気がして眉をひそめる。
名無しさんが彼を見れば見るほど自分の秘密が剥がれていくような気がして心拍数が上がった。
彼女は何も知らない。…はず。
静かに息を吐いて暴れる心臓を押さえ付けた。


「わたくしも、不思議なことに涙がでないのです。この世に生まれる前からずっと一緒にいた自分の片割れではありましたが大人になったら必然的に離れるだろうと思っていました。が、職場を選ぶにも結局同じでした。もはや私達を分かつのは家庭を持った時、あるいは死だけかもしれないとさえ思っていたのです。……こんなに早くだとは思ってもいませんでしたが。」


名無しさんが彼から目を離さずに、ノボリさんは、と言いかけて口をつぐむ。
部屋の空調の低く無機質な音だけが静かに鳴りつづけて彼らに語りかけているようだ。自分もまた口をつぐむ。
互いに黙ってしまったのでとりあえずなんとなく先程の自分のぎこちない言葉を繰り返し思い返して咀嚼するだけの時間が続いた。

涙が出ない。これは本当だ。
ずっとずっと何を選ぶにも同じだった。だから、ずっと一緒だった。
同じであることを嫌だと思ったこともあったが、なんだかんだでどちらかが後ろをついて来た。
今はもうそれが当たり前のように受け入れて双子であることを素直に喜べるようになっのは、もう自分達が子供ではなくなったからであろうか。
似ているからこそ、二人の間にある違いは分かりやすいし見つけるのが面白いと思えるようになった。。未だに新たな違いを発見したりする。

そして現に今日、最大の差異を目の当たりにした。その差異の原因はどうとあれ、……命の終わるまでの長さだ。
どうして、死ぬ時まで一緒のような錯覚をしていたのだろう。双子とはいっても互いが一人の人間なのは自分達がよく知っていたはずなのに、結婚だって有り得ない話ではないのに、突然片方が自分の生活からいなくなるのを想像したことがないのだ。
人間がいつ死ぬかもしれないのは誰だって同じであって、病気や老衰だけが死因ではない。
人はいつだろうと死ぬ。不慮の事故だとか、自殺だとか、天災、死の原因はいくらでもある。今この時だって人間が把握できない速さで世界の人口は動きつづけているに違いないのだ。
だから、明日も自分は平然と生きていると信じて今日死ぬとは思わなかった、というのはちょっと考えると変な話だ。
口を動かしながらそのことに気付いて、自分が何を言っているのかだんだん訳が分からなくなって、変なことを言っているような気分になって少し笑ってしまった。
涙は出ないけれど、笑うことはできるんだな、と少し自嘲の意も含めて。



『ねぇ、造花って花がなかったら造花と呼ばれることはなかったのかな。』

突然、前触れなく沈黙を破って切り出した名無しさんの手は彼の周りに敷き詰められた白い花を弄っていた。もちろん、それは造花なんてものじゃなくて生の花だ。唯一部屋の角には堅く渇いた布でできた花があったが、それを指して言っているのではないらしい。
胸の辺りでざらりとした感触がした。

「…というのは?」
『私達は花を知ってる。だからこそ造花があるのであって、造花が花に先立って存在することはないのよね。これが、私達の世界だから。』
「……。」

どんなにそっくりそのまま細やかな花びらの先や葉脈まで象られていたって、造花は自分達の世界では偽物でしかない。花というものが人類より早くにこの世界に存在し、そして花がどんなものかを自分達が知っているからだ。
もし造花が先立って存在していたならば、それは人間の想像物であってもはや造花ですらない。


『でも、もしこの世界が花を失って、花というものを知る人さえも一人残らずいなくなったら、造花はこの世界で本物になれるのかな。』
「…花を知らない人にとっては本物の花でしょうね。」

少しゆるんできている口元を人差し指と親指でなぞる。
名無しさんが先程彼を見ていたままの眼でこちらを見ていることに気付いた。

「しかし世界にとっては、やはりそれは造花です。」
『…可哀相。』
「造花がですか。」
『ううん、造花も、花を知らない人達も、花も、ぜんぶ。…ねぇ、だって悲しいじゃない。』
「……。」

名無しさんの手が、唇をなぞっていた指をそっと払いのけて、今度は名無しさんの指が口元をなぞる、その形は。


『クダリさん。』
「……あはは。」


目線を合わせられずに逸らしたその先にある棺、に眠る人。
それにしても、本当にそっくりだ。その固く閉じられた口元さえ凝視しなければまるで本当に自分が死んでるみたいだと錯覚するほどに。だからか、複雑というか、不思議な気持ち。
お願いだから死ぬときくらいもっと安らかに死んでよ。死ぬときまでその仏頂面なんて、もう。
おかげで真っ先にバレちゃったじゃないか。


『ノボリが灰になっちゃう前にそのコート返してあげてよね。』


やっと僕の目をまっすぐ見てくれたと思った名無しさんの瞳からはようやく涙が溢れて頬を伝っていた。










代わりなんてないということ




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