稲妻11

□甘党少女とメシア
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さほど酸素を取り入れないで自然に呼吸していた口を塞いで息を止めた。
体の奥から何かが迫ってくる感覚。私はその正体を知っている。
あちら側からこちら側へと、それは容赦なくどんどん近づいてきて、私をこちら側からあちら側へと誘うは、苦しげに酸素を求める心臓と、合わせて鳴る喉の音。
ゆっくり引きずり込まれていく、と思った。もちろん苦しくないわけじゃない。でも不思議と焦燥感はなく心地よい。何もかも投げ出したくなるほどの氷砂糖のように甘い、黒くてふわふわと温かい世界をどこまでもゆっくりと落ち、

― 目を開けた。眩しくてあまり目を開かなかったけれど、すぐに戻ってきたことと失敗したことを理解する。

『ガゼル。』
「向こうの世界はどうだった?」
『失敗した。』

タイミングが早すぎると言うと、ガゼルが短く溜息をついて髪の毛をガシガシとかいた。

「君は死にたいのかい」

ほんとに死んでしまったら笑えない、とまだぼけっとしている私の頬を両手で包んで呆れ顔で私の半開きの目を見ていた。

『あと少しだったの、』

私はこの通り、生きている。別に死にたいと思って呼吸をやめているわけじゃない。生きたいと思って彼の呼びかけに答えて目を開けたわけじゃない。
ただ、あちら側に興味がそそられただけ。
あちら側とこちら側の世界の曖昧な境界を、あちら側の感覚を少し、味見したかっただけ。単なる子供心だ。

『なんとなく、死んでみようと思っただけ。』

ああ無知で無邪気な子供の心は恐ろしいと彼は言って無知な私をキリキリ抱きしめる。甘い、綿菓子みたいな香りがした。この腕を舐めたら溶けるのかなあ。

「やめてくれ、私はまだ生きるんだ。君が死んだら私の心臓までとまってしまうよ。」
『止まったら一緒にきてくれるんでしょう?』

また一つ溜息。
何も知らない純粋な私は子供のように、時に無邪気で時に残酷だと彼は言う。私にはまだ難しい言葉だと思った。

『あ、そういえばね、あちら側は甘かったよ。』

氷砂糖みたいに、と付け足しておく。
あちら側にずっといても別に、とさらに付け足してついに彼の腕をひと舐め。

『甘いのね。』
「どちらのが甘かったんだい。」
『ガゼル!』

やっとガゼルを抱き返す。完全に開いた目で彼を捉えて甘えた。彼の指は満足げに私の髪を撫でている。

「じゃあ、こちら側にいてくれるね。」

もちろんと返す代わりにニィッと笑う。ガゼルも笑う。
一緒にいよう。彼の手に私の手を添えよう。貴方の限り、私は、貴方に。
貴方のいるこの世界の終わり、この世界にいる貴方の終わりまで、私はひたすらこの甘味を貪欲に啜り続ける。

ガゼルの胸板に耳を当てて心音を聴いた。彼は今生きている。
きっと、この音とともに流れている血も甘いのだ。
この血が流れなくなったときは。私の世界は。

そんなことを考えて彼に回した腕に力を込めると、彼は何もかも分かっているというように、そっと私の髪を撫でる。そして私を包むこの腕は甘い、甘い。
貴方の血が止まるとき、私は。
私は、私の生きる世界に、終わりを告げ、甘味を求めるのだ。


「私は生きているよ。」


私の世界の終わるとき、最後に私の眼に映るのは貴方の屍なんだ。
だから今はそれだけで、その声、その事実だけで私の世界は救われる。









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